‘ベトナムの生活情報’ カテゴリーのアーカイブ

ホーチミン見所1

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
8月 01 2005 年

●統一会堂
1873年着工した別荘で、かつてはノロドム(カンボジアの王朝名)宮殿と呼ばれていた。1954年に故ゴ・ディン・ジェム大統領により大統領官邸とされ、1963年に改築し、独立宮殿と名づけられた。延べ床面積2000m2、五階建ての宮殿内には大小100室が備わっている。1975年4月30日解放軍による宮殿のゲート突破によりサイゴン政権は陥落した。解放後、市管理軍委員会の事務所となり、1975年12月国家統一協商会議が開催された。その後独立宮殿は、統一会堂と改名、一般公開された。

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28 Vo Van Tan
7:30-11:00 13:00-16:00 無休 入場料5万ドン

●戦争証跡博物館
1975年9月に設立された当初は、アメリカ-傀儡戦争犯罪展示館と呼ばれていた。館内には、民衆を惨殺、拷問、流刑したり、枯葉剤を散布したり、北部ベトナムを爆撃した、アメリカ、傀儡政権の現物、写真を陳列している。飛行機、大砲、戦車、ギロチン、「虎の檻」と呼ばれたコンダオ島牢獄の複製2部屋も置かれている。その他、西南国境戦争(対カンボジア戦争)、北方国境防衛戦争(対中国戦争)、長沙・南沙(スプラトリー諸島)問題、敵対勢力の陰謀などについても展示している。博物館外では、土産屋、ベトナム民芸品展示コーナー、水上人形劇上演室などがある。当館の設立後20年にわたり内外多くの参観者が訪れているが、最も多いのはアメリカ人観光客である。  クチの地下道 市中心部より北西70キロ離れたクチ県フーミーフン村にあるクチの地下道は、ホーチミン市で最も有名な革命史跡である。地中深くに、多くの交差、連結をめぐらした地下道網には、台所、食堂、寝室、会議室、手術室、矢倉が設けられている。抗仏戦争当時は、約17kmだった地下道が、1960年以降には全長250kmまで発展していった。地下3階の構造で、最も深いところは地下10mもある。現在この革命史跡は、内外の見学客で賑わう行楽地となり、射撃場も隣接している。また敷地内には1995年12月19日に完成した戦没者慰霊堂がある。本堂内の石碑には、サイゴン、チョロン、ザーディンで戦死した 41,447名の犠牲者の氏名が刻まれている。
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28 Vo Van Tan
7:30-11:45 13:30 – 16:45 無休 料金1万ドン

●歴史博物館
建築士Delavalにより北京の頤和園(中国清代の夏離宮)をモデルに建てられ1929年1月1日に完成した。当初はBlanchard de la Brosse博物館と呼ばれ、主に美術品が展示されていた。1954年よりサイゴン国家博物館と改名されベトナム、チャム、クメール、中国、日本、各少数民族の美術品が展示されていた。1979年にホーチミン市歴史博物館、さらにその後ベトナム歴史博物館と改名された。現在一万七千点にのぼる貴重な古物を原始時代、雄王時代、李朝、陳朝、黎朝、西山朝、阮朝と時代順に陳列している。またベトナムの祭祀具、東南アジアの仏像、ベトナムおよびアジア各国の陶器、オクエオ文化、チャンパ文化について展示している。第五区界隈で発掘されたミイラの展示室もある。
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2 Nguyen Binh Khiem
8:00-11:30 13:30-16:30 無休 料金1万ドン

●動植物園 (2B NGUYEN BINH KHIEM, DIST.1)
フランス人熱帯植物研究者であるJ.B.Louis Pierreによって1865年に造営された動植物園は、世界で8番目に古い動物園で、国内およびインド、タイ、ラオス、カンボジア各国から集められて貴重な植物(ココア、コーヒー、バニラ、Jardin Acclimaterと呼ばれる砂糖黍など)が植えられ、珍種の動物も飼育されている。現在20haの敷地内では、125種類の590頭の動物、260種の1800本にのぼる樹木、23種の国内蘭、33種のサボテン、34種の盆栽を見学できる。
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2 Nguyen Binh Khiem
8:00-11:30 13:30-16:30 無休 料金1万ドン

●美術博物館 (97A PHO DUC CHINH, W. NGUYEN THAI BINH, D.1)
1991年より開館。建物はもともと華僑豪商の社屋だった。1階は内外の現代美術品、2階は内外の現代絵画と彫刻、3階は7世紀から20世紀にかけてのベトナム美術品、7世紀から17世紀にかけてのチャンパ、オクエオ美術品、17世紀から20世紀に至るベトナム骨董品を展示している。
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97 Pho Duc Chinh
8:00- 11:00 13:30-16:00 月曜休館 入場料無料

●ホーチミン市革命博物館 (65 LY TU TRONG DIST.1)
1890年に建てられた当初は、南部ベトナム特産物展示場だったが、後に南ベトナム総督の私邸とされた。日本軍の占領期には蓑田総督の私邸として使われた。1963年11月1日ゴ・ディン・ジェム大統領とゴ・ディン・ニュー大統領顧問がこの嘉龍宮殿の地下道を通じてクーデターの追っ手から逃走した。グェン・バン・チュー大統領の時代には、最高裁判所として使われたが、1978年8月より革命博物館として利用され、サイゴンの歴史、抗仏・抗米戦争関連資料を展示している。
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65 Ly Tu Trong
8:00-11:30 13:30 _ 16:30 月曜休館 入場料1万ドン

●ホーチミン市人民委員会庁舎
1871年よりフランス統治政権はこの場所に市役所建設を立案したが、1896年に建築士Gardesの設計を選定、1898年にLailhacar社に発注して、仕上げは美術家Bonnetに依頼して、1908年に完成した。1954年からは旧サイゴン政権の都庁となったが、1975年4月30日以降ホーチミン市人民議会と人民委員会の庁舎として使われている。
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ホーチミン市紹介

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
7月 01 2005 年

 ベトナムといえば、北のハノイ、南のホーチミンが2大都市ですが、今回はベトナム最 大の観光地「ホーチミン市」をご紹介したいと思います。
面積: 2,090km2
人口: 7百万人以上いると推定されている(2001年)
行政区: 17区(1〜12区、TAN BINH区、PHU NHUAN区、BINH THANH区、GO VAP区、THU DUC区)
県: 5県(NHA BE県、CANGIO県、HOC MON県、CU CHI県、BINH CHANH県)
ホーチミン市の行政管轄区域は、北緯10.22.13〜11.22.17度、東経106.01.25〜107.01.10度にわたり、市中心部からハノイまで陸路で1,730KMの距離にある。海岸までは直線距離で50KM離れており、12KMの海岸線をもつ。市の土壌は、沖積土。河川、水路があるが、大河はない。最も大きな川はサイゴン川で、全長106KM。ホーチミン市は陸路、航路、空路、鉄道の全において南部交通の要所で、国道1号線と統一鉄道は、ハノイに通じ、国道13号線はカンボジアを通じてインドシナを貫通している。タンソンニャット国際空港は、ベトナム最大の空港で、市中心部からわずか 7KMの位置にある。
季節は、二期にはっきりと区別される。5月から11月までは雨季で、年間降雨量は1,979mm。乾季は12月から翌年の4月まで続く。年間平均気温は27.55度で冬はない。
市人民委員会の正面にあるホーチミン像
ホーチミン市の歴史
数千年にわたるベトナム建国の歴史にとっては、ホーチミン市はまだ新しい土地である。1668年のベトナム王朝の公文書でサイゴンの地名が記載されてから今日まで僅か三百年しか経っていない。かつてこの地はカンボジア王国の領土で、プレイノコール(=森の都)と呼ばれ、狩猟に使われ、17世紀にはカンボジアの副王が居住していたという。1698年初頭にグェン・ヒュー・カイン指揮官が阮王朝の命を受けて、南部を訪れたことが、サイゴン市設立300年の起源とされている。サイゴンという地名は、漢字では西貢と記載するが、サイはマンゴー(ベトナム語でソアイ、カンボジア語でスバイ)または原野のスラエ、ゴンは綿(まくらの綿として使われている)にちなんでいるとも、カンボジア語のTi Krong (街の意)が→Thai Gon (堤岸)→Sai Gonと変化したとも推論できるが、現時点ではまだ定説はない。
1859年、フランスの植民勢力により、南部ベトナムは攻略を受け、ザーディン市は陥落した。1862年サイゴン条約で仏領コーチシナが設立し、50万人都市計画が実施され、ボーナード総帥によってザーディン市は3つの府に分割され、それぞれの府はさらに3つの県に分けられ、その下に区、郡、村が置かれた。当時のサイゴンは、ザーディンが中央官庁所在地であるのと同時に、タンビン府の府庁、ビンズオン県の県庁も置かれていた。チョロンはタンロン県の県庁所在地であり、サイゴンと同じタンビン府に属していた。1864年にはチョロンがサイゴンから分離した。こうした都市開発を通じて、ベトナムの南北、東西各地に西欧的町並みが形成されていったのである。都市では基幹となる大通りと、四差点、五差点、七差点がつくられ、レンガ、セメント、鉄筋の高層建造物、広場、埠頭、公園が次々に建設された。
サイゴンは地理的位置、地質、恵まれた気候により、たちまち世界各地の商人が集まる都市になった。サイゴン港が1862年に完成してから、近隣各国の商船が忙しく出入りするようになり、サイゴンは南シナ海の真珠と呼ばれるほどに発展した。
1874年3月15日にフランス共和国大統領令によりサイゴン市が設立された。サイゴンは大都市となり、貿易センター、技術、サービス、交通各面での大型プロジェクトが次々と導入された。20世紀初頭にはチョロンもサイゴンに併合され、サイゴンはインドシナ最大の都市になった。その後フランス植民軍への抗戦がはじまり、1975年4月30日には、ベトナム民族独立戦争の終結地となった。1976年7月2日のベトナム社会主義共和国第6期国会第1審議においてサイゴンは、ホーチミン市と改名された。
観光資源
今日ホーチミン市は国内最大の観光地で、ベトナムを訪問する外国観光客の70%を吸収している。インフラの整備が整っていること、交通の便利が良い点の他に、豊富な観光資源に恵まれていることによる。
ホーチミン市は、1911年に故ホーチミンが救国の旅路で出航した地であり、ニャーロン港のホーチミン博物館は重要な史跡とされている。フランス統治期に建てられた建造物、クチの地下道、戦争・革命博物館が主な見所であるが、ダムセン遊園地、ウォーターパークなどの娯楽地が最近賑わっている。300年の時を経たホーチミン市には古寺、教会も多い。サイゴン、ザーディンから今日のホーチミン市に至るこの都市の文化的特徴は、伝統的なベトナム文化と、北方の中国文化、そして西欧文化の融合と調和だと言える。ベトナム南部、メコンデルタの中心地としての機能を果たすホーチミン市は、かつてクォックグー(ベトナム語のアルファベット表記法)による新聞の発祥地でもあり、今日でも全国の文化、芸能、芸術の最先端をリードしている。

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ハノイの名物料理

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
6月 01 2005 年

●マイ・アイン うどん店 Tel 81234567
チキンうどんの専門店。かつてはNam Ngu通りのうどん屋に次ぐ位置にあったが、清潔さと明朗会計の甲斐あって、ハノイ随一のうどん屋として君臨している。鶏がらととんこつを周到に煮込んだスープは意外にも透き通っており、さっぱりした味わいである。
マイ・アイン うどん店

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PHO MAI ANH
32 Le Van Huu

●チャーカー
総業140年の老舗。雷魚をカレー粉など独特な調味料で味付け、葱、ビーフン、香草を混ぜて炭火の七輪で炒めて食べるハノイ名物は、この店でしか味わえない。
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CHA CA LA VONG
14 CHA CA

●ブンチャー
やや大きめの揚げ春巻きとハンバーグと冷麦をつゆにつけて食べるハノイ名物。常に混雑しているときには、ほど近い67 DUONG THANHにある店舗に行くと良い。Hang Manh通りの他に、Mai Hac De通り、Nguyen Cong Tru通りにも何軒かある。暑い日の昼食に適している。
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Bun Cha Dac Kim
1 HANG MANH

●ガータン(チキンの薬膳煮)
漢方薬のスープで柔らかく煮たチキンを揚げパンと一緒に食べる。食欲がでない日の食事にどうぞ。チャーハンもある。
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GA TAN
13 TONG DUY TAN

●ソーイ(おこわ)
Haong Da市場正面にあるお店。チキン、豚角煮とゆで卵、ハム、ソーセージ、豚削りぶしと多種。1人前は4000ドン。お持ち帰り可能。おこわは、毎朝食べても何故か飽きません。朝と夕方のみ開店。
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XOI
41 DUONG THANH

●ブンボーナンボ(南部風まぜ冷麦)
南部風とはいいながらも、これはハノイ料理といえる。冷麦の具は、野菜、豚肉、ピーナツ。
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BUN BO NAM BO
65, 67 HANG DIEU

●ミーワンタン(ワンタン麺)
1979年の中越関係悪化による中国人一斉退去以降、中国人街で唯一残った麺家。ワンタン麺だけでなくチャーシュー麺、水餃子もある。Hue 通り, Mai Hac De通りにも麺家はあるが、このお店が最も古く、安くて美味しい。
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MY VAN TAN
TA HIEN STREET

現地駐在員への質問コーナー4

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
5月 01 2005 年

 「教育」はそれぞれの国が、自国の将来を見据えて真剣に考え、取り組んでいる問題です。
さて今回の質問は?
ベトナムの教育制度は?
幼児教育
生後3ヶ月から6歳までの幼児の養育と教育のためのもの。
幼児教育施設
1. 託児所:生後3ヶ月から3歳までの幼児が対象
2. 幼稚園:3歳から6歳までの幼児が対象
3. 保育園:生後3ヶ月から6歳までの幼児が対象で、上記2施設が一緒になったもの。
普通教育
1.小学校教育は、6歳から14歳の児童の全てが対象の義務教育であり、1年生から5年生までの5年間就学させる。1年生は6歳から入学する。就学期間中児童は、道徳、知能、体力、美術、技術の基本的な能力を中学教育まで継続するべく長期的に伸ばせる ための正しい発展をできるよう育成される。
2.中学教育は、6年生から9年生までの4年間にわたって行われる。小学校卒業証書を受けた11歳の児童が入学できる。この期間に小学教育の成果をさらに発展させ、普通教育レベルに到達し、就職を目指した技術面での見識を獲得させ、さらに普通中学、専門中学、職業教育もしくは就業に向かわせる。
3.普通中学教育は、10年生から12年生までの3年間行われ、中学校卒業証書を持つ15歳の学童が入学できる。この教育の期間に、それまでの教育期間の成果に踏まえて、さらに大学、短大、専門学校、職業学校もしくは就業のための普通教育と就業を目指した技能 取得ための教育が行われる。
普通教育の施設
1. 小学校
2. 中学校
3. 高等学校
4. 総合技術センター
職業教育
1.中等専門学校は、中学卒業者には3~4年間、高校卒業者には1~2年行われる。
2.職業教育は、職業に必要な教育レベルと健康が備わった者に行われるもので、短期で1年、長期で1〜3年行われる。
職業教育機関
a.専門中学校
b.職業学校、職業訓練センター、職業訓練クラス(職業訓練施設総称)
職業訓練施設は、独立したものもしくは生産・経営・サービス・教育施設に付随したものとして運営されている。
大学および大学院教育
大学および大学院教育は、
1.短大・大学教育
a.高校卒業もしくは中等専門学校卒業者を対象とした3年の短大教育
b.高校卒業もしくは中等専門学校卒業者を対象とした4~6年、もしくは高等専門学校卒業者を対象とした1~2年の大学教育からなる。
2.修士・博士レベルの大学院教育
a.大学卒業者を対象とした2年間の教育
b.大学卒業者を対象とした4年間もしくは修士取得者を対象とした2~3年間の教育
特別な場合には、教育訓練省の規定に従って博士課程の期間を延長すること が可能である。
その他政府は特別な専門分野における大学院教育について具体的な規定を定めている。
大学・大学院教育施設
1. 短期大学
2. 大学、修士課程、博士課程設置について政府首相によって認可を受ける
3. 博士課程教育レベルの科学研究所
大学の具体的な運営機構については首相によって規定されている。

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現地駐在員への質問コーナー3

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
4月 01 2005 年

 今回はベトナムの「結婚」について聞いてみました。
さて今回の質問は?
お見合い結婚、恋愛結婚どちらが多い?
経済と社会の発展に従って、人間も進歩して、生活面でもクォリティーを求めるようになる。だからこそ「私」自身をはっきりと意識し始め、恋愛について、人生についてその他いろいろなことについて、特に結婚相手についての観念は以前とは異なってきている。今日のベトナムにおいては、仲人の紹介による結婚はほとんどなくなっているといえる。いまだにお見合いが行われているとしてもそれは僅かで、厳粛な考え方はすでに残っておらず、知人同士の軽い社交的なよるものである。自分の意思に従った自主的な生き方をしている人は、社会との多様な関係を気づいているので配偶者と知り合う機会があり、自分自身で注意深く結婚相手を選ぶことができるのである。ということで現在のベトナムではほとんどが恋愛結婚である。
結婚適齢期は?
ベトナムの結婚・家族法によって、男性は20歳、女性は18歳から結婚できる。すべての国民は成人となってから結婚にあたって平等で自由な権利を有している。
早婚(法律の規定を満たしていない年齢での結婚)は、少数民族居住区や辺鄙な地域にのみみられる。女性の平均結婚年齢は25歳、男性は27歳。政府と各自治体は、成熟した家族生活を宣伝教育して、早婚をなくし、強制婚、できちゃった婚にならないよう性教育も行っている。若すぎて十分な経済的条件のないうちに結婚して望ましくない離婚のような惨事にいたらないための配慮である。
結婚式での衣装は?
現在新郎新婦の服装は、流行に従っているのであるが、一般には結納で女性は赤いアオザイに赤い頭飾をかぶる。婚礼日の新郎による送迎時に新婦は洋風の白い(ピンクは稀)ウェディングドレス一式を着る。新郎は暗いカラーもしくは白いスーツを着てネクタイを締め、靴を履く。一方農村部では、十分な条件がない場合には、新婦は赤いアオザイと赤い頭飾を着用し、新婦は暗い色のズボンに白いワイシャツにネクタイをするだけの簡易な衣装で挙式している。

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現地駐在員への質問コーナー2

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
3月 01 2005 年

 グローバル化が進む中、各国の外国語教育事情というのは気になるところです。
さて今回の質問は?
ベトナムでは外国語で何が一番勉強されているのか?英語?日本語?
1980年代以降ベトナムにおける教育システムではロシア語が初等教育から普通教育にかけて7年と12年の2つの過程に従って教えられてきた。1990年以降現在までグローバル化の進展の中でベトナム教育訓練省は考え方を変えて、学校教育においてロシア語を英語に切り替え、英語を必修科目にした。学校と学校のレベルによって英語の必修取得レベルは異なる(普通教育に従った7年と12年の過程がある)が、生徒のなかで英語専修コースも設けられ、優秀な生徒は全国英語コンテストに参加する 者もいる。
グローバル化進展の中でベトナム経済も徐々に変化している。外資合弁会社、外資独資会社の数が増え、外国語レベルが高い労働者の需要が高まっている。英語が世界的に普及している言語である故、各大学も英語講習コースを開設するだけでなく、学生たち自身が学外の外国語センターや外国語大学の専修コースなどを受講してスキルアップをはかっている。現在幼稚園から大学まですべての学校で英語の授業がある。特に都市部では英語学校が激増し、英語の試験や検定書発行などが行われている。
英語に続いてフランス語も普及している言語としてみなされている。
1930〜1940年代まではベトナム全土がフランス植民地制度の支配下にあり、学校ではフランス語が教えられていた。その当時から現在までフランス語が使えるベトナム人は維持されているばかりでなく国際化の趨勢のなかで増加しているのである。特にベトナムがフランス語圏国家連合に加盟してからベトナムにおいてはフランス語が流行の外国語になっている。普通教育におけるフランス語も全国レベルのコンテストが行 われている科目である。
以上に述べた他の外国語については、時期により外国投資の増加によって、雇用の機 会に応じて、それぞれの外国の言語学習ブームが起こっている。
日本の投資がベトナムに押し寄せてきてから、日本語を学ぶベトナム人も急増した。 貿易大学の日本語クラスは1〜2クラス(1クラス25名)だが、最近では4~5クラス/年 開講している。しかも1クラス30人に増員している。
中国人がビジネスもしくは旅行で訪れるようになってから、外国語講習センターでは、中国語クラスが激増した。韓国のファッションや映画・ドラマ、製品がベトナム市場に流入してから韓国語学習熱が高まった。こうした時流は、カラオケに行くとベトナム語や英語だけでなく日本語、中国語、韓国語の歌もある現象にも反映されている。
在学中の学生にとっては、ある外国語が該当する国の留学制度や奨学金制度を目当てにすることもある。かつてはファシストの国家があった国の言語と忌み嫌われていたドイツ語が、いつの間にか西欧留学のための手段として使われるようになっているの である。
上述したことは、外国語の学習の動機となっているいろいろな理由の一部であるが、いずれにせよ積極的な面がある。外国語を学ぶことによって異なる国、民族についての理解を拡げることになり、国際化、グローバル化の趨勢に適応している。なぜなら 外国語は各民族の和合・親睦、相互の進歩を助長するものであるから。
なるほど!ベトナムでは大変積極的に外国語教育をとらえていることがわかりました。日本もぼやぼやしてはいられませんね。

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現地駐在員への質問コーナー1

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
2月 01 2005 年

 「ベトナム」をより良く理解するために、現地駐在員が様々な質問にお答えいたします。
今回の質問は
(1) 典型的なベトナム人の家とは?広さ?構造?
今日のベトナムの家屋建築を、ひとつの典型的な様式として一般化することはできない。なぜなら各地方のそれぞれの環境に適応したさまざまの建築様式があるからである。
先ず農村部から考察してみたい。図に表したような家屋は封建時代からのキン族(ベトナムで90%を占める主要民族)の伝統を保持している。この家屋の建築様式は三間屋、茅葺屋根(瓦の場合もある)、土壁・竹柱(今日ではセメント、レンガが用いられてきている)、中庭(今日では土ではなくセメントやタイルが敷かれている)によって構成されている。三間の中央の間は、先祖を祭る祭壇、箪笥、中央には和額があり、その両脇にはベッドもしくは螺鈿をほどこした対連を飾る。中央の間が接客を行う応接間であり、両脇の二間が寝室である。それぞれの寝室の広さは3m x 4mほどのもので、リビングルームは寝室の3倍ほどの広さがある。天井に梁がなく天井材(断熱材や樹脂材など)を張れない場合でも古風な紋様や漢字で福禄寿のような漢字の模様が入った板をかける。三間の母屋の横には厨房がある。厨房は寝室とほぼ同じほどの広さであるが、天井は竹や木材で高く建てられ、屋根裏の収納スペースをつくり、農作業でつかう道具(籠、天秤、紐など)や炊事用具(蒔きなど)をしまう。厨房はかまどが普通であるが、練炭やガス(家畜の糞のメタンガスを利用したもの)炉もある。厨房は、母屋の両脇のいずれかにL型に配置される。
以上に述べたような様式の家屋は少なくなってきており、屋根の平坦なもしくはトタン屋根の、厨房・トイレ・浴室が母屋と一体になった近代的な様式の家屋を建て、井戸も水道ができてからは残さないようになっている。
次に都市の住宅についてみる。今日ベトナム各省の都市部は経済的に発展しており、都市への人口集中が進み、都市部の人口密度が過密化している。政府は高層住宅の建設を推進して問題の解決をはかっているが、その進捗は遅く、多くの困難に直面している。都市部での住宅は、そうした理由で雑然としている。建設面積がわずかなところにウナギの寝床のような細長く、しかも高層の建物が建設されている。幅はわずか2〜3mなのに、奥行きは25~50mもあり、さらにできる限りの有効なスペースを確保するべく突出したり、引っ込んだりと様々である。
(2) 家は借りる、買う、どちらが多いのか?
政府の土地政策は、土地は全人民のものであるが、国が唯一の土地所有者であるという政策のもと、政府はいろいろな方法で土地を民に分け与える政策を実施している。ベトナム国民の殆どが土地の借地権を受けて家を建てる権利を有している。祖先、親が残した借地権による者もいれば、土地解放政策によって土地を分け与えられた者もいる。
近年の土地政策は、市場経済化のなかで、投機熱を避けることができなくなっている。特に大都市においては、親から譲られた土地、国から授けられた土地、機関によって払い下げられた土地、自分で購入した土地、分譲の集合住宅等々の多くの不動産を所有する者もいれば、借家住まいを余儀なくされている者もいる。
借家住まいをしている階層は様々であるが、主なものは農村やよその省・都市から出稼ぎや就学のために都市に移り住んできた若い世代である。学校を卒業する際にはその都市に残り、そして一族が徐々に都市に移動してくるのである。ある都市に機関、学校、病院、大企業が集中し、人口が過密になってくると、その都市の土地の資産価値が実際の価値よりもさらに上昇していく。都市の中心部の土地価格が日々天井知らずの上昇を続けているなかで、学校を卒業したばかりの若者には土地も家も買えるほどの金も無く、借家住まいをするしかないのである。
国は住宅問題の解決をするべく集合住宅建設に努力しているが、現時点ではそうした住宅に困っている階層の人に手の届く価格ではないのが実情である。いつまで借家住まいをしなければならないのだろうか・・・
しかしながら、ベトナム政府は、集合住宅建設、土地法律整備、土地投機を抑制政策実現の努力をしている。ベトナムの若者よ、借家住まいをもう少し辛抱して!

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ベトナム旅行者の心得

ベトナムの生活情報, ベトナム2005 | 投稿者: web-master
1月 01 2005 年

 初めてのベトナム旅行に来られる方、何を準備するか戸惑いますよね。
着る物、お金、洗面用具etc、何を持って行っていいのやら。
ホーチミン市(HCM)はこれから雨季(5月頃〜10月頃)になります。
気温は23〜34℃位、日本の8月と同じ位。この時期の降水量は日本の2倍くらいで夕方は夕立が降ります。旅行の服装はTシャツ、ポロシャツ、下は短パンも可です。でも飛行機の中やホテルの部屋、移動の車の中はエアコンが効いているので、1枚上着を準備するといいかも知れません。洗濯は1日で乾きますが、汗かきの方は肌着はちょっと多めをお勧めします。クツは基本的に歩きやすいもので。街の歩道は狭くオートバイが駐輪、お店の一部がせり出し、足元は食べかすやゴミで汚い場所もあります。街の中心だけの散策ならサンダルでも大丈夫です。(飛行機の中では片道6時間位は座っているのでスリッパかサンダルがあると楽です。)。日中の晴れた日は日差しが大変強いので、女性は日焼け止めをお忘れなく。帽子も効果的です。お泊りのホテルにもよりますが、普通のホテルにはバスタオル・ハンドタオル、ドライヤー、シャンプー等は準備されています。もし必要な洗面用具をお忘れでもスーパー(コンビ二)のようなところもあるので買い足すことも可能です。
電気製品を持ってくる場合は気を付けて下さい。電圧は220V(日本は100V)、お持ちの製品が対応していないと壊れてしまいます。また、プラグ(コンセントの形)もホテルによって違います。アダプターの貸し出しをしているホテルもありますが、せっかく持ってきても使えない場合があります。
水道水は飲めませんが、ミネラルウォーター等がどこでも簡単に手に入ります。
カメラのフィルムは日本よりちょっと高めでどこでも売っています。インスタントカメラも最近では入手可能。現像も普通のフィルムはもちろんインスタントカメラやデジカメも1日でプリントしてくれるので、帰りの飛行機で見るのもいいかもしれません。現金は日本円でも米ドルでも結構です。こちらの銀行や両替所、ホテルでもベトナムドンに替えてくれます。お食事やお土産にどれ位お金を使うかは個人差がありますが、中心部にレストランや雑貨屋・土産屋、大きなホテルではクレジットカードの利用も可能です。
最後に、ベトナムへの旅行を問わず海外旅行では、交通事故、感染症や食中毒といった不測の事態が起きた場合、お金と手間・時間がかかります。事前の情報収集や海外旅行傷害保険の加入をお勧めします。

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ホーチミンの日本人学校事情

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
12月 01 2004 年

 —ホーチミンの日本人学校は田舎の分校と同じ状況
ホーチミンには2,000人位の日本人が在住していますが、家族帯同の比率は、生活環境の問題もあり、他の国々より低いようです。その数少ないホーチミン在住の日本人の子供達は、日本人学校の他に、インターナショナルスクールとブリティシュスクールに在校しています。日本人幼稚園もない為、どの子もインターナショナルやブリティシュスクールの幼稚園に通うわけですが、そのまま小学部に進んでしまう事もあり、現在の日本人学校の生徒数は、小・中学校合わせて60名弱。まさに田舎の分校といった感じです。学年により生徒数がまちまちで、少ない学年では、5人しかいない場合もあるのです。日本政府が教師の派遣を行い、日本商工会が運営。学校行事においては、商工会の会員である我々駐在員が、運営者側の立場で参加する事もしばしばです。
—大人が喜ぶ運動会
毎年12月に行なわれる運動会は、実にユニーク。日本の学校の運動会に比べ、まず大人参加の種目が多いうえ、(通常日本では「保護者」と呼称するのですが、ホーチミン日本人学校の場合は、大人なら誰でも参加できるので、ここでは「大人」としておきます)最後に賞品が授与されるのです。なにしろ生徒数が少ないので、生徒だけの運動会だと短時間で終了してしまうし、子供達が疲労困憊してしまうのではという配慮からか、種目の半分くらいは大人も参加して盛り上げます。それでも全種目がお昼前に終了してしまうので、日本でお馴染みのお弁当風景が見られません。また、より多くの大人の参加を求めるためなのか、競技に全種目参加した人には、賞品が授与。その賞品がなんとも豪華なのです。これが結構決め手になっているのでしょうか。結構人が集まるのです。
閉会式直前に行なわれるゲームとラッキードローの賞品は、各企業からの協賛。家電メーカーの電気製品に始まってホテルの食事券の類まで多彩です。これも豪商工会=企業の運営によるため、それが功をなして、私を含め、結構大人達も賞品目当てに(?)運動会を楽しんでいます。
—最後に
生徒の人数が少ないのは、決して悪い事ばかりではないと思います。日本人学校に通う子供達は、「学年を超えた仲間」。年上の子供達が小さい子供達の面倒を見るため、彼ら自身が年長者としての自覚を身につけていきます。自ずと社会人としての役割を演じているんですね。
ベトナムを訪れる機会がありましたら、観光名所や現地の人達の生活だけでなく、ベトナムで生活している日本人達に目を向けてみるのもいかがでしょうか。

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ベトナムの交通事情

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
10月 03 2004 年

 道路の主役は誰?
「バイクの洪水」
ベトナムでの主要な交通手段と言えば、バイクや自転車などの二輪車。
もちろん自動車もありますが、バイクに比べてまだまだ少ない有様です。
実際、道路を占める二輪と四輪の割合は、約8:2位。どこへ行ってもバイク・バイク・バイクの洪水なのであります。
朝、晩のラッシュアワーの時間になると、その数は半端ではありません。まるで、龍の移動と見紛うばかり。バイクが群れをなし、怒涛を組んで流れてきます。時には縦横無尽にバイクが車専用道路を通行することも・・・。
「八面六臂の大活躍」
確かにバイクはいつでもどこでも移動できる最適の交通手段です。
夏になれば、上半身裸で走行する人もいる一方、冬は、ニット帽、サングラス、マスクで完全防備し、走行する・・日々の買い出しから始まって、ロマンティクなデートまでフル活用なのです。ベトナム人は歩くのが嫌いなのでしょうか。たとえ10mでもバイクを使うこともしばしばです。
一方、日本人には想像を絶するくらいの荷物が積まれます。量もすごいが、荷物の種類にも眼を見張ります。大きな豚1匹から、野菜、果物、テレビ、冷蔵庫、果ては箪笥やテーブルセットにいたるまで。積載オーバーはなんのその。満載にもかかわらず、きちんと2人乗りまでやってのけてしまいます。すごいぞ、バイク。大活躍!
「バイクはステータス」
バイク愛好者は、稼ぎが多い都市に集まっています。
自転車に比べ、高価な乗り物なので、地方に行けば行くほど、バイクの台数は急減し、代わりに自転車が台頭してきます。高収入の人しかもてないバイク。それだけに彼らのステータスであり、地方の人たちからの憧れの的なのです。日常の足として活躍するバイクを彼らは本当に大切にしています。壊れたら、町中にお目見えする修理屋ですぐ直せるようになっています。近年はバイクの種類も増えて、色とりどりのバイクが町中を走り回っています。日本、韓国、中国、台湾のバイクメーカーが主流ですが、なかには、ロシア製、チェコ製などもあり、言わば、「バイクメーカーの坩堝」です。
「大きな社会問題に・・」
それだけ愛用され、増え続けているバイクなのですが、やはりそれに伴って交通事故が非常に多い。交通ルールがあっても守らないのが当たり前。対四輪だけでなく、バイク同士の事故がひっきりなしに起き、必ずや遭遇するはずです。道路が狭いのだから、譲り合わなければならないはずですが、そんなことをまったく考えていないのでしょうか。一時停止など無視。『俺が先に通過するぜ!』と相手を威圧しながら通行します。これは決してアイコンタクトとは言えません。考えるだけでもゾ〜としますが、傍観している方はもっとスリリング!!「交通マナーは守るべき」と考えている我々日本人観光客は、思わず『危ない』と叫んでしまう羽目に。
さてもう一つの大きな社会問題は、盗難です。車体はもちろん、部品が盗まれるのであります。修理工場が多いということはそれだけニーズがあるのでしょうか。盗られた部品は、もちろん即、売られてしまう。テールランプカバーからウインカーのないものまで、その盗難の範囲はあっけに取られるくらいに広いのです。
予防策としては、防備しかありません。大方のバイクや車はモールのようなカバーがされて、部品が盗まれないように自衛隊策をしています。しかも、このカバーがスグレモノなのです。後ろから衝突されてもライトが壊れないようにカバーするという、一石二鳥の商品です。
ふーっ!なにはともあれ、ベトナム道路の主役はバイクなのでした!

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