‘ベトナム2004’ カテゴリーのアーカイブ

ホーチミンの日本人学校事情

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
12月 01 2004 年

 —ホーチミンの日本人学校は田舎の分校と同じ状況
ホーチミンには2,000人位の日本人が在住していますが、家族帯同の比率は、生活環境の問題もあり、他の国々より低いようです。その数少ないホーチミン在住の日本人の子供達は、日本人学校の他に、インターナショナルスクールとブリティシュスクールに在校しています。日本人幼稚園もない為、どの子もインターナショナルやブリティシュスクールの幼稚園に通うわけですが、そのまま小学部に進んでしまう事もあり、現在の日本人学校の生徒数は、小・中学校合わせて60名弱。まさに田舎の分校といった感じです。学年により生徒数がまちまちで、少ない学年では、5人しかいない場合もあるのです。日本政府が教師の派遣を行い、日本商工会が運営。学校行事においては、商工会の会員である我々駐在員が、運営者側の立場で参加する事もしばしばです。
—大人が喜ぶ運動会
毎年12月に行なわれる運動会は、実にユニーク。日本の学校の運動会に比べ、まず大人参加の種目が多いうえ、(通常日本では「保護者」と呼称するのですが、ホーチミン日本人学校の場合は、大人なら誰でも参加できるので、ここでは「大人」としておきます)最後に賞品が授与されるのです。なにしろ生徒数が少ないので、生徒だけの運動会だと短時間で終了してしまうし、子供達が疲労困憊してしまうのではという配慮からか、種目の半分くらいは大人も参加して盛り上げます。それでも全種目がお昼前に終了してしまうので、日本でお馴染みのお弁当風景が見られません。また、より多くの大人の参加を求めるためなのか、競技に全種目参加した人には、賞品が授与。その賞品がなんとも豪華なのです。これが結構決め手になっているのでしょうか。結構人が集まるのです。
閉会式直前に行なわれるゲームとラッキードローの賞品は、各企業からの協賛。家電メーカーの電気製品に始まってホテルの食事券の類まで多彩です。これも豪商工会=企業の運営によるため、それが功をなして、私を含め、結構大人達も賞品目当てに(?)運動会を楽しんでいます。
—最後に
生徒の人数が少ないのは、決して悪い事ばかりではないと思います。日本人学校に通う子供達は、「学年を超えた仲間」。年上の子供達が小さい子供達の面倒を見るため、彼ら自身が年長者としての自覚を身につけていきます。自ずと社会人としての役割を演じているんですね。
ベトナムを訪れる機会がありましたら、観光名所や現地の人達の生活だけでなく、ベトナムで生活している日本人達に目を向けてみるのもいかがでしょうか。

news_8

news_8_1

ベトナムの交通事情

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
10月 03 2004 年

 道路の主役は誰?
「バイクの洪水」
ベトナムでの主要な交通手段と言えば、バイクや自転車などの二輪車。
もちろん自動車もありますが、バイクに比べてまだまだ少ない有様です。
実際、道路を占める二輪と四輪の割合は、約8:2位。どこへ行ってもバイク・バイク・バイクの洪水なのであります。
朝、晩のラッシュアワーの時間になると、その数は半端ではありません。まるで、龍の移動と見紛うばかり。バイクが群れをなし、怒涛を組んで流れてきます。時には縦横無尽にバイクが車専用道路を通行することも・・・。
「八面六臂の大活躍」
確かにバイクはいつでもどこでも移動できる最適の交通手段です。
夏になれば、上半身裸で走行する人もいる一方、冬は、ニット帽、サングラス、マスクで完全防備し、走行する・・日々の買い出しから始まって、ロマンティクなデートまでフル活用なのです。ベトナム人は歩くのが嫌いなのでしょうか。たとえ10mでもバイクを使うこともしばしばです。
一方、日本人には想像を絶するくらいの荷物が積まれます。量もすごいが、荷物の種類にも眼を見張ります。大きな豚1匹から、野菜、果物、テレビ、冷蔵庫、果ては箪笥やテーブルセットにいたるまで。積載オーバーはなんのその。満載にもかかわらず、きちんと2人乗りまでやってのけてしまいます。すごいぞ、バイク。大活躍!
「バイクはステータス」
バイク愛好者は、稼ぎが多い都市に集まっています。
自転車に比べ、高価な乗り物なので、地方に行けば行くほど、バイクの台数は急減し、代わりに自転車が台頭してきます。高収入の人しかもてないバイク。それだけに彼らのステータスであり、地方の人たちからの憧れの的なのです。日常の足として活躍するバイクを彼らは本当に大切にしています。壊れたら、町中にお目見えする修理屋ですぐ直せるようになっています。近年はバイクの種類も増えて、色とりどりのバイクが町中を走り回っています。日本、韓国、中国、台湾のバイクメーカーが主流ですが、なかには、ロシア製、チェコ製などもあり、言わば、「バイクメーカーの坩堝」です。
「大きな社会問題に・・」
それだけ愛用され、増え続けているバイクなのですが、やはりそれに伴って交通事故が非常に多い。交通ルールがあっても守らないのが当たり前。対四輪だけでなく、バイク同士の事故がひっきりなしに起き、必ずや遭遇するはずです。道路が狭いのだから、譲り合わなければならないはずですが、そんなことをまったく考えていないのでしょうか。一時停止など無視。『俺が先に通過するぜ!』と相手を威圧しながら通行します。これは決してアイコンタクトとは言えません。考えるだけでもゾ〜としますが、傍観している方はもっとスリリング!!「交通マナーは守るべき」と考えている我々日本人観光客は、思わず『危ない』と叫んでしまう羽目に。
さてもう一つの大きな社会問題は、盗難です。車体はもちろん、部品が盗まれるのであります。修理工場が多いということはそれだけニーズがあるのでしょうか。盗られた部品は、もちろん即、売られてしまう。テールランプカバーからウインカーのないものまで、その盗難の範囲はあっけに取られるくらいに広いのです。
予防策としては、防備しかありません。大方のバイクや車はモールのようなカバーがされて、部品が盗まれないように自衛隊策をしています。しかも、このカバーがスグレモノなのです。後ろから衝突されてもライトが壊れないようにカバーするという、一石二鳥の商品です。
ふーっ!なにはともあれ、ベトナム道路の主役はバイクなのでした!

news_7

news_7_1

現地駐在員がお薦めするハノイの「観光スポット」

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
7月 01 2004 年

 前回ご紹介したようにハノイは、ベトナム民族と大きくかかわってその歴史は古い。ベトナムの自然から生まれた風光明媚なスポットをはじめ、歴史が織り成す数々の建物、そして現在も活気がみなぎる旧市街地。どこへ行っても奥の深い文化土壌を感じ取れるハノイの魅力をここではお伝えしたい。
市内の主な見所
ホアンキエム湖
ハノイ市中心にあり、ハノイの花篭とも言える名勝。この湖は、10年にわたる抗明の戦いで勝利した名将Le Loi(黎利)が、神から授かった剣を亀に返した伝説にあやかり還剣湖と呼ばれている。今もなおこの湖には亀が数匹生息している。湖の小島にある玉山殿には、ここで発見された亀の剥製が展示されている。
一柱寺
李太祖の長子であるり・タイ・トン(李太宗)が、1049年に建てた。高齢にもかかわらず男児が無かった李太宗は、ある日蓮華台の坐る観世音菩薩より男児を授かる霊夢を見た。そして後日妃に長子を生ませることができたことを感謝して、石柱の上に観音仏が蓮華台に坐る構築を造った。これが延祐寺(一柱寺)として今世紀まで残されたが、残念ながら1954年にフランスがハノイから撤退する際破壊したので、今日みられる建物は、現政府が再建したものである。
文廟
李太宗の長子り・タイ・トン(李太宗)が、1070年に孔子、周公を祀る文廟を建てたことにはじまる。次の国王リ・ニヤン・トン(李仁宗)は、1075 年よりはじめて儒学による選抜試験を行い、同時に国立大学ともいうべき国子監(クォック・トゥー・ザム)も設立された。従来主として仏僧の推薦する人物などを官吏に採用していたのを中国式の文官登用試験制度に切り換えた。科挙に合格した栄ある人々のナを刻んだ進士題名碑は、1442年をはじめとして数十期の合計82個ある。亀が台座になっているのは民族の繁栄を永続させる願いを具現している。
ホーチミン廟
1975年8月29日、ベトナムとソ連の共同による2年の建設期間を経て完成。建物の高さは1.6m、全長320m。正面は1945年に故ホーチミンが独立宣言を読み上げたバーディン広場。向かいにあるのが国会議事堂。ホーチミン廟からみて国会議事堂の右側にある庁舎が外務省、左側にある黄色の建物が共産党中央委員会庁舎。ホーチミン廟の見学が終わると、裏側にある故ホーチミンの執務室兼住居であった高床式建物を見学できる。正面の池には、立派な錦鯉が放されている。
旧市街 (36の通り)
旧市街は、「36の通り」ともよばれるホアンキエム湖北側にある専門店街である。砂糖屋、仏具屋、錫屋といった専門店、職人工房が軒を連ねる。そうした通りの由来はさまざまである。例えば桃屋通りは15世紀に染物職人が集まった通りだったが、当時は赤や桃色に染めるのが常だったために桃屋通りと呼ばれた。15世紀の黎朝の頃よりタンロン(かつてのハノイ)には中国からの多くの中国人が住んでいた柵屋通りは、当時その通りの両側に柵があり、夜になると閉じられていたのでそう呼ばれた。砂糖屋通りは、その名のとおり砂糖、蜂蜜、飴、御菓子類が売られ、今日に至っている。
ドン・スアン市場
モー市場、ホン市場、クアナム市場、ゴックハー市場、ハンザー市場・・・と数あるハノイの市場で最大のものがドンスアン市場。1889年にドンスアン街に設立されたことから始まる。残念なことに1995年の大火によって、かつて賑わったこの市場もすっかり活気を失っている。
鎮国寺
青年通りをつきあたった西湖の小島にあるこの寺は、もともと紅河河畔に西暦541年に建立されたベトナム最古の仏教寺院が17世紀に移転したものである。ベトナム仏教芸術の傑作と言われている釈迦涅槃入滅像が安置されている。境内に佇む菩提樹は、1959年インド首相のハノイ訪問時に寄贈されたもの。
バッチャン
ハノイから南東13キロ離れた陶磁器の村。約600年前から陶器作りが始まったといわれている。独特な白磁、青磁、染付けは、昔々はるか安土桃山の茶人たちに安南染付ともてはやされていた。泥炭で真っ黒になった道々には、約2000人が営む500件を超える工房がぎっしりと並び、製品を運ぶトラック、自転車、人でいつも賑わっている。
水上人形劇(ホアンキエム湖畔キムドン水上人形劇場)
日本ならば平安時代と比せられるベトナム独自の文化を築いた李朝(1009年〜1225年)より水上人形劇は行われていたことが史料から確認されている。水上人形劇は、70〜80人よりなる職人組織によって上演、伝授されつづけてきていたが、かつては劇団忠誠心と秘密の保持が義務つけられ、女性の入団は、結婚して秘密を外部に漏らす恐れがあるため許されなかった。水上人形は、独特な木彫で防水の塗装がほどこされている。日本でいうときっちょむさんのようなおどけたピエロ(ベトナム語では、Chu? te丘と呼ばれる)が主人公となって人々に笑いと楽観を与えてくれる。ベトナムの北部には湖や池が多いが、水上人形劇の舞台は元来そうした村の湖や池だったのだ。今日のハノイでも特別な折には、ホァンキェム湖に舞台を置いて上演している。
ハロン湾
クァンニン省の名勝ハロン湾は、全長120km,面積1,553km2で大小あわせて1969(うち989の島には名前がある)もの島がある世界遺産である。1994年12月17日のユネスコ第18回世界遺産会議で、Dau Go島、Ba Ham湖、Cong Tay島で囲まれた434km2の区域にある, 775の島が正式に世界的な天然資産である認定を受けた。主に石灰岩、自然石によってなる島々の地質は2億5千万年前から形作られたものである。数億年の時を経た神秘的な鍾乳洞を見学することができる。それぞれの島は、Dau Nguoi(人頭)島とかHon Rong(ドラゴン)島、Hon Ong La Vong(釣り人)島、Canh Buom(蝶の羽)島・・・と想像力をはたらかせていろいろな名前がつけられている。

news_6_1

news_6_2

news_6_3

news_6_4

news_6_5

news_6_6

news_6_7

news_6_81

news_6_9

news_6_10

news_6_11

現地駐在員が薦めるベトナム観光スポット

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
4月 01 2004 年

 ここのところ日本では急激にベトナム観光がブームになっているようで、毎日のように観光名所の質問を受けます。ベトナムと言えば、やはり北はハノイ、南はホーチミンが名だたる2大都市です。今回はまずハノイを訪れる方のための総花的なご案内レポートを付記しました。これを知っているか知らないかでまったくベトナムの醍醐味が違います。ご質問大歓迎であります。

 ハノイ案内
ベトナム社会主義共和国の首都であるハノイは、ベトナム北部最大の都市であるが、人口は約300万人、面積は918km2とホーチミン市の約半分の規模である。市内には、Hoan Kiem, B Dinh, Hai Ba Trung, Dong Da, Tay Ho, Cau Giay, Thanh Xuanの7つの行政区があり、郊外にはSoc Son, Dong Anh, Gia Lam, Tu Liem, Thanh Trizの5つの県がある。ハノイ市全体からみた人口密度は17,125人/km2だが、市内中央部にあるHoan Kiem区は37,265人/km2と全国でも最も人口密度の高い地区である。
 ハノイの気候の特徴は、1年の気候が寒暖・湿乾で2分されることである。5月から9月までは暑く、雨が多い。11月から3月までは寒く、乾燥している。 4月と10月は、2つの季節の移行期で、あたかも日本の春、秋のような気候となるので、ハノイでは日本の四季のような季節を感じることができる。5月から 8月までの猛暑期には気温が38℃になる日もある。寒期の平均気温は、18℃程度であるが、1955年1月に最低気温2.7℃を記録したこともある。
ホーチミンと比較して、経済的にも地理的にも半分程の規模のハノイが今日でもベトナムの政治、経済、文化、交通面の中心である理由は、以下紹介する通り有史以来ベトナム民族の歴史に最も深く関わっていることによる。東南アジア全体からみてもハノイは現存の最古の都市である。
 遥か2千年以上の昔からハノイ周辺がベトナム民族にとって中心的な地域であった。ベトナム建国王朝AuLac国の安陽王はハノイ対岸のコ−ロア(古螺)に都市を築いた。紀元前179年に前漢の支配以降も交趾と呼ばれたハノイ近郊地域が交易都市として繁栄している。紀元後40〜43年には徴側、徴弐の姉妹の反乱で一時的に独立した際もハノイ近郊(メリン県)が首都とされた。
 544年から602年までの間、リ・ビ−(李賁)王が建てた万春王国(前李朝)の首都はロンビィェン(龍編)とよばれ、タインチ−県にあったと推定されている。8世紀に再び独立を達成したフン・フン(Phung Hung)は、ハノイに首都(大羅と呼んだ)を置いた。10世紀になると曲(Khuc)氏一族、楊廷芸(Duong Dinh Nghe)もハノイに都を置いた。
938年にゴ−クエン(呉権)はバクダン(白藤)江で中国の侵略軍を破り、コ−ロアを首都にして独立した。いままでの楊廷芸などが中国から爵位を授けられていたのと異なり、きっぱり中国から独立の意志を表明したので、ベトナムはこの時点より初めて紀元前2世紀からの中国の支配から完全に脱したとみなされている。
 しかし呉権が没した後、国内は12人の士豪の権力者が闘争する12士君の抗争時代となった。十二士君のひとりのディンボリン(丁部領)が全土を平定し、ハノイから南に120km離れているホアル−(華閭)を都に定め国名をダイコ−ベェト(大瞿越)とした。ベトナムが丁部領によって統一されたのと同じ頃に中国においても趙匡胤が五代十国の時代に終止符をうち宋王朝を建設した。丁氏は宋に使者を送り宋から交趾郡王に封ぜられた。その後丁氏に内紛が生じたのを利用して宋はベトナムを侵略したが、レホアン(黎恒)将軍によって宋の水陸軍は全滅した。契丹の脅威をうけていた宋はベトナム征服をあきらめ、黎恒をベトナムの支配者と公認し、前黎朝が成立した。黎恒が死ぬと第五子の竜錠(Long Dinh)が、即位した第三子を殺して王位についたが、彼はサディズムと淫乱の傾向があり、また酒に耽ったせいで痔が悪くなり、横臥しながら謁見をあたえたので臥朝(Ngoa Trieu)とよばれた。彼は俘因を川のなかの水牢にいれ、潮が満ちるとともにうめき死ぬのを見て喜んだり、宮中の宴会に諸王を招き、猫を食わせ、食事が終わってからその頭を示したり、ヤモリをなますにして侍臣に食わせたりした。彼は在位4年後、24歳で死んだ。王が死ぬとその子が幼かったことと、人々が極端に王を嫌っていたため、死後すぐに大官たちは、黎朝を倒し、親衛隊の指揮官の李公蘊(Ly Cong Uan、一般には李太祖Ly Thai Toと呼ばれる)をたてて李朝を成立させた。李公蘊は即位すると都を不便な山地のホアル−から、平地で交通の要衝であるダイラ−(大羅)城(=ハノイ)に移した。彼を乗せた船が城下に達したとき金色の龍が川から現れ空へと昇っていったので、彼はダイラ−をタンロン(昇龍)と名付けた(1010年)。李朝は、1009年から1225年まで続いたベトナム初めての安定した長期王朝であった。
 1225年から1400年まで続いた陳朝もタンロンを都とした。1400年から1407年までの胡朝は、タインホアを首都にしてタイド−(西都)とし、タンロンをドンド−(東都)と呼んだ。元が滅びた後明の太祖が天下を統一し、やがて永楽帝が帝位につくと、南海に向かって国威を伸張させようというもくろみが、終に1406年に明軍とベトナム軍との衝突となった。1413年には4百数十年ぶりに再び中国の直轄領となった。明はベトナムを内地化するために徹底的な同化政策をとったが、タインホア省の土豪のレ・ロイ(黎利)が1418年に抗明の旗を挙げ、1427年に抗戦10年の後国家の統一と民族の独立をかちとり、よく1428年4月にレ・ロイは、東京(トンキン、すなわち今日のハノイ)で即位し、国を大越と号した。黎朝は、1527年に一旦莫朝に王位を奪われたが、1592年再興しハノイをドンドー(東都)として1788年まで存続した。
 1771年に西山の乱という空前の大反乱がベトナム南部ビンディン省から起こり、西山軍は首都をビィンディン省クイニョンに置き、1789年にハノイが陥落し黎朝は1793年に滅亡した。しかし西山の乱は30年後の1802年に平定され、1802年にベトナム最後の王朝である阮朝はフエを首都に定め、ハノイは北城と呼ばれ地方都市となった。1831年明命(ミンマン)帝によってハノイ(河内)と呼ばれ、1884年から1953年までは仏印インドシナの首都として、その後ベトナム民主共和国、今日もベトナム社会主義共和国の首都としてハノイの地名が定着している。

news_5

news_5_1

ベトナム女性の関心は?現地の化粧品事情

ベトナムの生活情報, ベトナム2004 | 投稿者: web-master
2月 01 2004 年

 ——アジアンビューティはもうアオザイではない——
さて、「ベトナム女性」と聞いて想像するイメージはどんな感じでしょうか?風にたなびくロングストレートの黒髪、ほっそりした肩、細身体型に似合うアオザイ…欧米人が憧れるエキゾティック・アジアンビューティーという感じでしょうか?
ベトナムには長い黒髪のスリムな女性が多いのは確かです。しかし残念ながら日常生活でアオザイを着ている女性は、ごく一部。白いアオザイが制服の女学生のほか、雑貨やベトナム料理店の店員とベトナム航空の乗務員ぐらいです。
ベトナム女性の美しさを惹きだす民族衣装、アオザイ。一昔前まで新婦の衣装とはアオザイと決まっていました。ところが欧米化の波を受けて、いまやどの新婦も世界共通、白いウエディングドレスに身を包んでいます。日本の着物と同様、自国の文化が育んできた衣装が消えていくのが残念でなりません。
——若い女性の関心は?——
‘ブラウスとパンツ姿に、後ろで束ねたロングヘア、薄化粧(もしかしたら化粧していないかもしれません)’というのが街を徘徊している若い女性の平均的なスタイル。女子大生はより画一的で、そろいも揃って同じようにブラウス/Tシャツにパンツ、そしてつばの広い野球帽を被り、ほとんどノーメイクです。とても幼く見えるので、化粧に余念のない日本の高校生の方がずっとずっと大人に見えるでしょう。
彼女たちの関心事は「白い肌」。色白は美人の条件のひとつとされているため,日焼け防止には躍起になっています。特に国民的移動手段のオートバイに乗る時が大変!重装備姿ゆえに、滑稽かつ怪しげな雰囲気さえ漂います。ブラウスとパンツ,野球帽のお決まりスタイルに加えて、手袋とマスクをする。それだけ聞くと何の変哲もない格好ですが、その手袋たるや、手袋とは言いがたい代物。二の腕まですっぽり包み込むホース状のもの。いわば腕袋と呼びたいくらいです。袖の長さによって長さを調節しているところが憎いんですね。「暑苦し〜!」ナイロン製のロング手袋を見ているこちらの方が汗をかきそうです。一方顔のマスクの方も負けず劣らず大判振る舞い。口元のみならず鼻の付け根から下をすっぽりと覆っています。この完全防備スタイルを初めて目の当たりにしたときは、アオザイの繊細なイメージとのギャップに愕然としたものです。ただこの手袋は結構優れものらしい。今では自転車に乗る友人たちは真似してロング手袋を愛用しつつ日々通勤という図式になりました。
——化粧品事情はいかに?——
最近では、海外有名ブランドの化粧品が進出しデパートのブースを筆頭に、路面店も増えて来ています。しかし一般的な女性たちが使うスキンケア商品の類は ‘Co‐op Mart’,‘City Mart’、‘Maxi-mart’等の大型スーパーマーケットにて、シャワーソープやシャンプーといっしょに並んでます。気になる商品値段は、6000ドン(約¥50)〜9000ドン(約¥70)。「へ?」と驚くほど安いのです。商品内容は別として話の種におみやげとしてお勧めできます。
ジャンルごとに特徴をまとめてたのが下記です。
【洗顔フォーム】
日本の大衆ブランドでおなじみのニベアやポンズ。その横に、ベトナム国産の洗顔フォーム、スクラブ、パック等が並んでいます。ほとんどがチューブ入りで、パッケージには商品に含まれている原材料が一目でわかるような絵が書かれています。例えば、「朝鮮人参入り洗顔フォーム」には朝鮮人参と蜂蜜、「ミルク入りの洗顔フォーム」には牛の絵 (ミルクから連想してからか?) という具合。一方、肝心の使い心地は、泡立ちがほとんどない、スクラブが粗くて痛い、匂いが気になる(ミルク入りは練乳のような匂いで甘すぎる感じ)とか、いまひとつイエいまさんというところです。
【フェイシャルパック】
フェイシャルパックも洗顔フォームと同様にチューブ入りです。パッケージの絵はポップで可愛い物が多い様です。ただ種類が沢山あるわりにはどれも似たような使い心地で、粘着力が強力で、接着剤のように剥がすのがひと苦労。痛みを伴いますが、逆にその強さのせいか効果がある気がします。でも肌にはどうなのでしょうか?心配です。
【化粧水】
しっとり感とか,さっぱり感というよりもただの水のような感じです。
【シャンプー】
ただの新製品と思って買ったらチョコレート色のシャンプー剤が出てきてビックリしましたが,髪につけて泡立てるとモカ色の泡が立ち、洗い心地はよかったです。本当に黒髪になるのかは疑問ですが,シャンプーとしてはOKです。植物から抽出した天然素材で黒さをキープ出きるらしい物(毛染め用ではないようです)もあります。黒髪が美人の条件のひとつだからかベトナム女性には人気のようです。また、他にはパッケージに意味不明な日本語が書いてある物もあり、ちょっと恐くて手が出ないものもあります。3流の偽物ですね。
【化粧に寄せる女心】
戦争や農作業などひと昔前までは化粧どころではない時代が長かったせいでしょうか?年配の方々の大半は化粧にあまり関心がないようです。(ベトナム戦争中に欧米で生活していたごく一部のベトナム人女性達は、そこでブランド化粧品と出会い、その良さに触れ、メイクアップの楽しさを知りました。その当時にお気に入りだったブランドを今でも愛用しているようです。)
一方、若い女性たちは、海外の映画スターやモデルが登場する雑誌を見てそのファッションやメイクアップを真似るのが流行になりつつあります。毎年行われるベトナム人のビューティーコンテストはマスコミでも大々的に取り上げられ、誰もがその栄冠を勝ち取った美女の名前を知っているほどで、ベトナム女性の憧れとなっています。やはり美しくなりたい、魅力的になりたいというのは国境を越えて、全世界共通の願いなのですね。
我々を取り巻く環境の変化はここベトナムにも現れていて、近年、ホーチミンは排気ガス、紫外線、乾燥等々が原因で、スキントラブルで悩む女性が増えてきました。この影響もあるのでしょう。自分の肌を元気にしてくれるスキンケア化粧品へと興味も移行してきているようです。日本では当たり前のスキンタイプ別スキンケア化粧品はまだまだ発展途上ではありますが、コンシューマーである彼女達は、自分の肌に合った化粧品を望んで来ていると思われます。数年後、ベトナム女性はより健康的に、そして洗練され、世界で名だたる美人を輩出しそうな予感がするのです。

news_4

news_4_1

news_4_2