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私たちロジテムベトナムは、定期的にリアルタイムなベトナム情報をお届けしています。
ベトナムに駐在される方々にも、ベトナムという可能性のある国の姿と人々の暮らしをご理解いただき、
赴任に関する不安を取り除く一助となりたいと願っております。
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● 最新の記事
第四十三回
ハノイでスーツを仕立ててみました!
日本人女性観光客の間で、ベトナムの民族衣装、アオザイを仕立てるのが、以前にも増して流行っています。
しかし、男性も負けてはいられません!今回は、ハノイで「歩くMen’s Fashion」と呼ばれる駐在員(編集部注:ウソ)がスーツを仕立ててみましたので、早速、皆様にご紹介したいと思います。
ハノイのスーツ仕立ては、まず生地(きじ)選びより始まります。場所はハノイ中心部ホム・マーケット横にある生地通り。数十件の生地専門店が並んでいて、この中から好みの生地を購入します。シルク、コットン、ナイロンなど材質様々、色柄・原産地も豊富で、必ず気に入るものが出てくるはずです。
生地を買ったら、次は仕立屋に向かいます。今回、私が足を運んだのはドゥックチン通りにある「アダム・タイン」という老舗店。この店にはロジテムの駐在員N氏が持ち込んだファッション雑誌が置いてあります。雑誌を捲りながら、かっこいいデザインの写真を指差して同じスーツを作ってもらいます。私が選んだのはブラッド・ピット似の若者がポーズを決めている写真です…この際、自分のメタボリック体型は考えなくてもいいようです。
1週間後、スーツの型のみが出来た時点で、試着日が決まります。私の体にフィットするよう、最善を尽くしてくれているわけです。日本でも、ここまでしてくれる店はそうそう無いと思います。
そして更に1週間後、いよいよスーツの完成です!目にも鮮やかな純白なスーツです。私の着こなしも抜群!「ベトナムにロバート・デ・ニーロ現る!」といったところでしょうか。ちなみに、気になるお値段は生地・仕立料を含めてVND1,600,000(1万円)ぽっきりです(スーツに合わせるために買った白い靴のほうが高かった…)皆様も、是非お試し頂ければと、思います。
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第一回
スーパーマーケット事情――食
ベトナムでの食料調達手段といえば、地元では路上の店が一般的。食材ばかりでなく、食器や花などの日用雑貨、下着をはじめとした衣料など、あらゆるものが並んでいます。
例えば、おなじみの牛や豚は皮を剥ぎ、内臓をとったままの姿で店先に並び、要望を聞いてその都度切り分けて売っています。鶏や鳩、犬や蛇などもベトナムでは一般的な食材です。また、魚も肉もむき出しのまま並べられているのに抵抗を感じ、現地の人に尋ねると「新鮮だから冷蔵しなくても大丈夫」とのこと。それでも、外国人はちょっと手を出す気にはなれません。果物は、ライチ、メロン、マンゴー、ドラゴンフルーツ、オレンジ、リンゴ、すいか、梨、柿、苺など、種類が豊富です。一年中出回っていて、路上にピラミッドのように積み上げている光景があちらこちらで見られます。
こういった路上の店は、基本的に値段は交渉制。
米は、インディカ米が一般的ですが、「こしひかり」もベトナムで生産されており、価格も同じくらいです。
市内には、いわゆる「市場」がいくつか存在します。価格は露店とほぼ同じですが、なんといっても品揃えが豊富なのが魅力です。
経済発展が急速に進む中、いわゆるスーパーマーケットも最近急激に増え、ホーチミンでは主流になりつつあります。こちらは日本と同じ感覚で買い物をすることができます。但し、価格は平均すると、露店の1.5〜2倍と割高なので、外国人や富裕層のベトナム人が主な利用客となっています。また、こういう店では、せんべい、カップラーメン、味噌などのごく一般的な日本食品も手に入れることができます。
しかしながら、ベトナムでは、日本でいうコンビニ、自動販売機は見かけません。
特に食べ物について物価の割安感のあるベトナムでは、例えば、普通に自炊しようとすると、一食15000ドン(約115円)くらいが目安でしょうか。
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露店でのおおよその価格は下記の通り。
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スーパーマーケットでは約1.5倍〜2倍になります。
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(Rate:130ドン=約1円:2003年7月2日)
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豚肉/牛肉 各1kg 50000ドン(約380円)
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鶏肉 1kg 40000ドン(約300円)
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ニンジン 中5本 3000ドン(約23円)
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きゅうり 3本 2000ドン(約15円)
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アジ 1kg 2000ドン(約15円)
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イカ 1kg 40000ドン(約300円)
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米(インディカ)1kg 3500ドン〜12000ドン(約26〜92円)
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第二回
ベトナムの女性の日
ベトナムには「女性の日」と呼ばれる特別な日が1年に2日あります。
3月8日と10月20日です。3月8日は「国際婦人デー」として世界で知られている日ですが、10月20日は1930年に女性の地位の向上のために、ベトナムで初の婦人の組合が設立された日です。ベトナムの女性は2つの戦争 で大変な苦労をしてきました。
「女性の日」はベトナムが「ドイモイ政策」が浸透してきた1990年頃より一般的になりました。
「女性の日」には子供、妻、母を含めた全ての女性にとって、特別な日です。
多くの男性もこの日に自分の愛情を表現できるとあってこの日を指折り数えています。
つまりは、日本のバレンタインデーの逆で、男性から女性へ愛を告白する日です。
多くの男性は女性に花を贈るため、街は花でいっぱいになります。道路では花売りが、そしてバイクに乗っている殆どの人が花を持っています。その日だけは通常より花の値段は1.5〜2倍に値上りします。
日本における母の日のカーネーションと同じ状況ですね。
最近ではいわゆる義理チョコならぬ、義理バラ?で、一般的な男性/女性への感謝には複数のバラを送るようになりました。女性にプレゼントする時は9本、男性にプレゼントする場合は7本が好まれます。
本命には赤いバラを1本渡します。この本数の意味合いは不明です。
最近の若い人達は本数にこだわりはなくなっているようです。とにかくこの日は友達や、同僚、母、祖母にも感謝の意を示して花を贈り、会社では昼食会の開催や、ボーナスやプレゼントがあり、家庭では夫は炊事、洗濯、掃除を手伝 ってくれます。
このように「女性の日」はまさしく、女性にとって幸せな日となると同時に男性にとっても愛情を表現できる日として貴重なのです。
ベトナムでは他に「先生の日」にもお花を送る機会があります。日本ではタブーな菊のお花もベトナムではおめでたい時にも渡します。
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第三回
ベトナムの結婚式
ベトナムでは、11月からベトナムの旧正月‘テト’にかけて、結婚式シーズンたけなわとなります。
特に年末が近づいてくるにつれ、あたかも新居を構えてから新年を迎えることが最高の幸せであるかのように、街のあちらこちらで一斉に結婚式が開催されます。人気のある式場は、吉日には半年も前から予約が一杯になるようです。
日本でも大吉など吉日を選ぶ習慣が根強いですが、ベトナム人は、我々の想像の域を脱するくらい、縁起を担ぐ民族です。今でこそ薄らいできましたが、ひと昔前までは身内に不幸があると、3年間は喪に服さなければならず、結婚なんて絶対許されないという習わしがありました。
結婚披露宴は、毎年縮小していく日本の事情と比べて、規模が大きく、普通の階級でも参加者300人から400人程度が集まります。また吉日を優先して日程調整をするため、平日であってもお構いなく開かれるため、招待客は祝い事を優先して、勤め先へ有給休暇の申請をする破目になります。毎年起きるこの現象はおめでたいことでありながらも、企業側にとっては悩みのひとつであり、頭の痛いところです。
さて当日、披露宴は、招待状に明記された時間より一時間程度遅れて始まることが多く、実際、誰も時間通りに来る人はいません。実質時間は、平均約1時間半程度です。会場の受付脇には、約80cm x 60cmサイズの写真パネルが飾られます。事前に晴れ着を身につけて記念撮影をしたのでしょう。華やいだ二人の笑顔が写っています。そしてその横で満面笑みの新郎新婦が出席者の方々をお出迎えするのが常です。新婦は結婚式ではアオザイ、披露宴ではウエディングドレスが一般的。
一方、新郎はどちらでもタキシードを着用します。また親族はネクタイもしくはアオザイを着用しますが、大方の出席者はノーネクタイ、普段着のままです。お客様は日本と同様、プレゼントやご祝儀を受付で渡し、記帳代わりの布や色紙にサインをします。ご祝儀の相場は2千円程度で、またプレゼントの多くは料理用の電化製品だそうです。割れ物は縁起が悪いのでタブーとされていますので要注意。受付を済まし、レセプション会場の丸テーブルに案内されます。1テーブルに座るのは約10名。その脇には数ケースのビールがすでに積まれていて、飲みに入る体制を実感するはずです。ここで最も重要なのはテーブル選び。一度酒飲みグループのテーブルにはまったてしまったら最後、まともな姿で帰途につけないと諦めたほうが良いかもしれません。
新郎新婦の入場後、お互いの親族が紹介されたかと思うと、早速ビールの一気飲みが始まります。やはりビールは、国産のタイガービールが主流。
そしてやおらカラオケ大会に移行します。ベトナム人の多くは、大のカラオケ好き! しばしば披露宴の主旨を忘れて‘マイク離サーズ’の人も見受けられます。もちろん、スピーチはありますが、非常にスピーディー。新郎新婦の父親、勤務先代表者、そして最後に新郎が担当するのですが、ほとんどは決まり文句の祝辞で2〜3分話す程度で終わります。
最後に最も驚いたこと! 会食が終わった途端、お客は次々と立ち上がり、さっさと会場を後にするのです。瞬く間に静まり返っていく会場を目の当たりにすると、「え! 締めの挨拶がないのに??」と日本人の常識では信じられない結末を迎えるのです。新郎新婦に失礼なのではないかとこちらのほうがヤキモキしてしまいますが、これはベトナムでは常識の常識。どこの国でも結婚式のような冠婚葬祭の場は、よくも悪しくもその国の文化性が凝縮されていると言えるのですね。写真クリックで大きく表示されます。
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第四回
ベトナム女性の関心は?現地の化粧品事情
――アジアンビューティはもうアオザイではない――
さて、「ベトナム女性」と聞いて想像するイメージはどんな感じでしょうか?風にたなびくロングストレートの黒髪、ほっそりした肩、細身体型に似合うアオザイ…欧米人が憧れるエキゾティック・アジアンビューティーという感じでしょうか?
ベトナムには長い黒髪のスリムな女性が多いのは確かです。しかし残念ながら日常生活でアオザイを着ている女性は、ごく一部。白いアオザイが制服の女学生のほか、雑貨やベトナム料理店の店員とベトナム航空の乗務員ぐらいです。
ベトナム女性の美しさを惹きだす民族衣装、アオザイ。一昔前まで新婦の衣装とはアオザイと決まっていました。ところが欧米化の波を受けて、いまやどの新婦も世界共通、白いウエディングドレスに身を包んでいます。日本の着物と同様、自国の文化が育んできた衣装が消えていくのが残念でなりません。
――若い女性の関心は?――
‘ブラウスとパンツ姿に、後ろで束ねたロングヘア、薄化粧(もしかしたら化粧していないかもしれません)’というのが街を徘徊している若い女性の平均的なスタイル。女子大生はより画一的で、そろいも揃って同じようにブラウス/Tシャツにパンツ、そしてつばの広い野球帽を被り、ほとんどノーメイクです。とても幼く見えるので、化粧に余念のない日本の高校生の方がずっとずっと大人に見えるでしょう。
彼女たちの関心事は「白い肌」。色白は美人の条件のひとつとされているため,日焼け防止には躍起になっています。特に国民的移動手段のオートバイに乗る時が大変!重装備姿ゆえに、滑稽かつ怪しげな雰囲気さえ漂います。ブラウスとパンツ,野球帽のお決まりスタイルに加えて、手袋とマスクをする。それだけ聞くと何の変哲もない格好ですが、その手袋たるや、手袋とは言いがたい代物。二の腕まですっぽり包み込むホース状のもの。いわば腕袋と呼びたいくらいです。袖の長さによって長さを調節しているところが憎いんですね。「暑苦し〜!」ナイロン製のロング手袋を見ているこちらの方が汗をかきそうです。一方顔のマスクの方も負けず劣らず大判振る舞い。口元のみならず鼻の付け根から下をすっぽりと覆っています。この完全防備スタイルを初めて目の当たりにしたときは、アオザイの繊細なイメージとのギャップに愕然としたものです。ただこの手袋は結構優れものらしい。今では自転車に乗る友人たちは真似してロング手袋を愛用しつつ日々通勤という図式になりました。
――化粧品事情はいかに?――
最近では、海外有名ブランドの化粧品が進出しデパートのブースを筆頭に、路面店も増えて来ています。しかし一般的な女性たちが使うスキンケア商品の類は‘Co‐op Mart’,‘City Mart’、‘Maxi-mart’等の大型スーパーマーケットにて、シャワーソープやシャンプーといっしょに並んでます。気になる商品値段は、6000ドン(約¥50)〜9000ドン(約¥70)。「へ?」と驚くほど安いのです。商品内容は別として話の種におみやげとしてお勧めできます。
ジャンルごとに特徴をまとめてたのが下記です。
【洗顔フォーム】
日本の大衆ブランドでおなじみのニベアやポンズ。その横に、ベトナム国産の洗顔フォーム、スクラブ、パック等が並んでいます。ほとんどがチューブ入りで、パッケージには商品に含まれている原材料が一目でわかるような絵が書かれています。例えば、「朝鮮人参入り洗顔フォーム」には朝鮮人参と蜂蜜、「ミルク入りの洗顔フォーム」には牛の絵 (ミルクから連想してからか?) という具合。一方、肝心の使い心地は、泡立ちがほとんどない、スクラブが粗くて痛い、匂いが気になる(ミルク入りは練乳のような匂いで甘すぎる感じ)とか、いまひとつイエいまさんというところです。
【フェイシャルパック】
フェイシャルパックも洗顔フォームと同様にチューブ入りです。パッケージの絵はポップで可愛い物が多い様です。ただ種類が沢山あるわりにはどれも似たような使い心地で、粘着力が強力で、接着剤のように剥がすのがひと苦労。痛みを伴いますが、逆にその強さのせいか効果がある気がします。でも肌にはどうなのでしょうか?心配です。
【化粧水】
しっとり感とか,さっぱり感というよりもただの水のような感じです。
【シャンプー】
ただの新製品と思って買ったらチョコレート色のシャンプー剤が出てきてビックリしましたが,髪につけて泡立てるとモカ色の泡が立ち、洗い心地はよかったです。本当に黒髪になるのかは疑問ですが,シャンプーとしてはOKです。植物から抽出した天然素材で黒さをキープ出きるらしい物(毛染め用ではないようです)もあります。黒髪が美人の条件のひとつだからかベトナム女性には人気のようです。また、他にはパッケージに意味不明な日本語が書いてある物もあり、ちょっと恐くて手が出ないものもあります。3流の偽物ですね。
【化粧に寄せる女心】
戦争や農作業などひと昔前までは化粧どころではない時代が長かったせいでしょうか?年配の方々の大半は化粧にあまり関心がないようです。(ベトナム戦争中に欧米で生活していたごく一部のベトナム人女性達は、そこでブランド化粧品と出会い、その良さに触れ、メイクアップの楽しさを知りました。その当時にお気に入りだったブランドを今でも愛用しているようです。)
一方、若い女性たちは、海外の映画スターやモデルが登場する雑誌を見てそのファッションやメイクアップを真似るのが流行になりつつあります。毎年行われるベトナム人のビューティーコンテストはマスコミでも大々的に取り上げられ、誰もがその栄冠を勝ち取った美女の名前を知っているほどで、ベトナム女性の憧れとなっています。やはり美しくなりたい、魅力的になりたいというのは国境を越えて、全世界共通の願いなのですね。
我々を取り巻く環境の変化はここベトナムにも現れていて、近年、ホーチミンは排気ガス、紫外線、乾燥等々が原因で、スキントラブルで悩む女性が増えてきました。この影響もあるのでしょう。自分の肌を元気にしてくれるスキンケア化粧品へと興味も移行してきているようです。日本では当たり前のスキンタイプ別スキンケア化粧品はまだまだ発展途上ではありますが、コンシューマーである彼女達は、自分の肌に合った化粧品を望んで来ていると思われます。数年後、ベトナム女性はより健康的に、そして洗練され、世界で名だたる美人を輩出しそうな予感がするのです。写真クリックで大きく表示されます。
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第五回
現地駐在員が薦めるベトナム観光スポット
ここのところ日本では急激にベトナム観光がブームになっているようで、毎日のように観光名所の質問を受けます。ベトナムと言えば、やはり北はハノイ、南はホーチミンが名だたる2大都市です。今回はまずハノイを訪れる方のための総花的なご案内レポートを付記しました。これを知っているか知らないかでまったくベトナムの醍醐味が違います。ご質問大歓迎であります。
ハノイ案内
ベトナム社会主義共和国の首都であるハノイは、ベトナム北部最大の都市であるが、人口は約300万人、面積は918km2とホーチミン市の約半分の規模である。市内には、Hoan Kiem, B Dinh, Hai Ba Trung, Dong Da, Tay Ho, Cau Giay, Thanh Xuanの7つの行政区があり、郊外にはSoc Son, Dong Anh, Gia Lam, Tu Liem, Thanh Trizの5つの県がある。ハノイ市全体からみた人口密度は17,125人/km2だが、市内中央部にあるHoan Kiem区は37,265人/km2と全国でも最も人口密度の高い地区である。
ハノイの気候の特徴は、1年の気候が寒暖・湿乾で2分されることである。5月から9月までは暑く、雨が多い。11月から3月までは寒く、乾燥している。4月と10月は、2つの季節の移行期で、あたかも日本の春、秋のような気候となるので、ハノイでは日本の四季のような季節を感じることができる。5月から8月までの猛暑期には気温が38℃になる日もある。寒期の平均気温は、18℃程度であるが、1955年1月に最低気温2.7℃を記録したこともある。
ホーチミンと比較して、経済的にも地理的にも半分程の規模のハノイが今日でもベトナムの政治、経済、文化、交通面の中心である理由は、以下紹介する通り有史以来ベトナム民族の歴史に最も深く関わっていることによる。東南アジア全体からみてもハノイは現存の最古の都市である。
遥か2千年以上の昔からハノイ周辺がベトナム民族にとって中心的な地域であった。ベトナム建国王朝AuLac国の安陽王はハノイ対岸のコ−ロア(古螺)に都市を築いた。紀元前179年に前漢の支配以降も交趾と呼ばれたハノイ近郊地域が交易都市として繁栄している。紀元後40〜43年には徴側、徴弐の姉妹の反乱で一時的に独立した際もハノイ近郊(メリン県)が首都とされた。
544年から602年までの間、リ・ビ−(李賁)王が建てた万春王国(前李朝)の首都はロンビィェン(龍編)とよばれ、タインチ−県にあったと推定されている。8世紀に再び独立を達成したフン・フン(Phung Hung)は、ハノイに首都(大羅と呼んだ)を置いた。10世紀になると曲(Khuc)氏一族、楊廷芸(Duong Dinh Nghe)もハノイに都を置いた。
938年にゴ−クエン(呉権)はバクダン(白藤)江で中国の侵略軍を破り、コ−ロアを首都にして独立した。いままでの楊廷芸などが中国から爵位を授けられていたのと異なり、きっぱり中国から独立の意志を表明したので、ベトナムはこの時点より初めて紀元前2世紀からの中国の支配から完全に脱したとみなされている。
しかし呉権が没した後、国内は12人の士豪の権力者が闘争する12士君の抗争時代となった。十二士君のひとりのディンボリン(丁部領)が全土を平定し、ハノイから南に120km離れているホアル−(華閭)を都に定め国名をダイコ−ベェト(大瞿越)とした。ベトナムが丁部領によって統一されたのと同じ頃に中国においても趙匡胤が五代十国の時代に終止符をうち宋王朝を建設した。丁氏は宋に使者を送り宋から交趾郡王に封ぜられた。その後丁氏に内紛が生じたのを利用して宋はベトナムを侵略したが、レホアン(黎恒)将軍によって宋の水陸軍は全滅した。契丹の脅威をうけていた宋はベトナム征服をあきらめ、黎恒をベトナムの支配者と公認し、前黎朝が成立した。
黎恒が死ぬと第五子の竜錠(Long Dinh)が、即位した第三子を殺して王位についたが、彼はサディズムと淫乱の傾向があり、また酒に耽ったせいで痔が悪くなり、横臥しながら謁見をあたえたので臥朝(Ngoa Trieu)とよばれた。彼は俘因を川のなかの水牢にいれ、潮が満ちるとともにうめき死ぬのを見て喜んだり、宮中の宴会に諸王を招き、猫を食わせ、食事が終わってからその頭を示したり、ヤモリをなますにして侍臣に食わせたりした。彼は在位4年後、24歳で死んだ。
王が死ぬとその子が幼かったことと、人々が極端に王を嫌っていたため、死後すぐに大官たちは、黎朝を倒し、親衛隊の指揮官の李公蘊(Ly Cong Uan、一般には李太祖Ly Thai Toと呼ばれる)をたてて李朝を成立させた。李公蘊は即位すると都を不便な山地のホアル−から、平地で交通の要衝であるダイラ−(大羅)城(=ハノイ)に移した。彼を乗せた船が城下に達したとき金色の龍が川から現れ空へと昇っていったので、彼はダイラ−をタンロン(昇龍)と名付けた(1010年)。李朝は、1009年から1225年まで続いたベトナム初めての安定した長期王朝であった。
1225年から1400年まで続いた陳朝もタンロンを都とした。1400年から1407年までの胡朝は、タインホアを首都にしてタイド−(西都)とし、タンロンをドンド−(東都)と呼んだ。
元が滅びた後明の太祖が天下を統一し、やがて永楽帝が帝位につくと、南海に向かって国威を伸張させようというもくろみが、終に1406年に明軍とベトナム軍との衝突となった。1413年には4百数十年ぶりに再び中国の直轄領となった。明はベトナムを内地化するために徹底的な同化政策をとったが、タインホア省の土豪のレ・ロイ(黎利)が1418年に抗明の旗を挙げ、1427年に抗戦10年の後国家の統一と民族の独立をかちとり、よく1428年4月にレ・ロイは、東京(トンキン、すなわち今日のハノイ)で即位し、国を大越と号した。黎朝は、1527年に一旦莫朝に王位を奪われたが、1592年再興しハノイをドンドー(東都)として1788年まで存続した。
1771年に西山の乱という空前の大反乱がベトナム南部ビンディン省から起こり、西山軍は首都をビィンディン省クイニョンに置き、1789年にハノイが陥落し黎朝は1793年に滅亡した。しかし西山の乱は30年後の1802年に平定され、1802年にベトナム最後の王朝である阮朝はフエを首都に定め、ハノイは北城と呼ばれ地方都市となった。1831年明命(ミンマン)帝によってハノイ(河内)と呼ばれ、1884年から1953年までは仏印インドシナの首都として、その後ベトナム民主共和国、今日もベトナム社会主義共和国の首都としてハノイの地名が定着している。写真クリックで大きく表示されます。
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第六回
現地駐在員がお薦めするハノイの「観光スポット」
前回ご紹介したようにハノイは、ベトナム民族と大きくかかわってその歴史は古い。ベトナムの自然から生まれた風光明媚なスポットをはじめ、歴史が織り成す数々の建物、そして現在も活気がみなぎる旧市街地。どこへ行っても奥の深い文化土壌を感じ取れるハノイの魅力をここではお伝えしたい。
市内の主な見所
ホアンキエム湖
ハノイ市中心にあり、ハノイの花篭とも言える名勝。この湖は、10年にわたる抗明の戦いで勝利した名将Le Loi(黎利)が、神から授かった剣を亀に返した伝説にあやかり還剣湖と呼ばれている。今もなおこの湖には亀が数匹生息している。湖の小島にある玉山殿には、ここで発見された亀の剥製が展示されている。
一柱寺
李太祖の長子であるり・タイ・トン(李太宗)が、1049年に建てた。高齢にもかかわらず男児が無かった李太宗は、ある日蓮華台の坐る観世音菩薩より男児を授かる霊夢を見た。そして後日妃に長子を生ませることができたことを感謝して、石柱の上に観音仏が蓮華台に坐る構築を造った。これが延祐寺(一柱寺)として今世紀まで残されたが、残念ながら1954年にフランスがハノイから撤退する際破壊したので、今日みられる建物は、現政府が再建したものである。
文廟
李太宗の長子り・タイ・トン(李太宗)が、1070年に孔子、周公を祀る文廟を建てたことにはじまる。次の国王リ・ニヤン・トン(李仁宗)は、1075年よりはじめて儒学による選抜試験を行い、同時に国立大学ともいうべき国子監(クォック・トゥー・ザム)も設立された。従来主として仏僧の推薦する人物などを官吏に採用していたのを中国式の文官登用試験制度に切り換えた。科挙に合格した栄ある人々のナを刻んだ進士題名碑は、1442年をはじめととして数十期の合計82個ある。亀が台座になっているのは民族の繁栄を永続させる願いを具現している。
ホーチミン廟
1975年8月29日、ベトナムとソ連の共同による2年の建設期間を経て完成。建物の高さは1.6m、全長320m。正面は1945年に故ホーチミンが独立宣言を読み上げたバーディン広場。向かいにあるのが国会議事堂。ホーチミン廟からみて国会議事堂の右側にある庁舎が外務省、左側にある黄色の建物が共産党中央委員会庁舎。ホーチミン廟の見学が終わると、裏側にある故ホーチミンの執務室兼住居であった高床式建物を見学できる。正面の池には、立派な錦鯉が放されている。
旧市街 (36の通り)
旧市街は、「36の通り」ともよばれるホアンキエム湖北側にある専門店街である。砂糖屋、仏具屋、錫屋といった専門店、職人工房が軒を連ねる。そうした通りの由来はさまざまである。例えば桃屋通りは15世紀に染物職人が集まった通りだったが、当時は赤や桃色に染めるのが常だったために桃屋通りと呼ばれた。15世紀の黎朝の頃よりタンロン(かつてのハノイ)には中国からの多くの中国人が住んでいた柵屋通りは、当時その通りの両側に柵があり、夜になると閉じられていたのでそう呼ばれた。砂糖屋通りは、その名のとおり砂糖、蜂蜜、飴、御菓子類が売られ、今日に至っている。
ドン・スアン市場
モー市場、ホン市場、クアナム市場、ゴックハー市場、ハンザー市場・・・と数あるハノイの市場で最大のものがドンスアン市場。1889年にドンスアン街に設立されたことから始まる。残念なことに1995年の大火によって、かつて賑わったこの市場もすっかり活気を失っている。
鎮国寺
青年通りをつきあたった西湖の小島にあるこの寺は、もともと紅河河畔に西暦541年に建立されたベトナム最古の仏教寺院が17世紀に移転したものである。ベトナム仏教芸術の傑作と言われている釈迦涅槃入滅像が安置されている。境内に佇む菩提樹は、1959年インド首相のハノイ訪問時に寄贈されたもの。
バッチャン
ハノイから南東13キロ離れた陶磁器の村。約600年前から陶器作りが始まったといわれている。独特な白磁、青磁、染付けは、昔々はるか安土桃山の茶人たちに安南染付ともてはやされていた。泥炭で真っ黒になった道々には、約2000人が営む500件を超える工房がぎっしりと並び、製品を運ぶトラック、自転車、人でいつも賑わっている。
水上人形劇(ホアンキエム湖畔キムドン水上人形劇場)
日本ならば平安時代と比せられるベトナム独自の文化を築いた李朝(1009年〜1225年)より水上人形劇は行われていたことが史料から確認されている。水上人形劇は、70〜80人よりなる職人組織によって上演、伝授されつづけてきていたが、かつては劇団忠誠心と秘密の保持が義務つけられ、女性の入団は、結婚して秘密を外部に漏らす恐れがあるため許されなかった。水上人形は、独特な木彫で防水の塗装がほどこされている。日本でいうときっちょむさんのようんなおどけたピエロ(ベトナム語では、Chu? te丘と呼ばれる)が主人公となって人々に笑いと楽観を与えてくれる。ベトナムの北部には湖や池が多いが、水上人形劇の舞台は元来そうした村の湖や池だったのだ。今日のハノイでも特別な折には、ホァンキェム湖に舞台を置いて上演している。
ハロン湾
クァンニン省の名勝ハロン湾は、全長120km,面積1,553km2で大小あわせて1969(うち989の島には名前がある)もの島がある世界遺産である。1994年12月17日のユネスコ第18回世界遺産会議で、Dau Go島、Ba Ham湖、Cong Tay島で囲まれた434km2の区域にある, 775の島が正式に世界的な天然資産である認定を受けた。主に石灰岩、自然石によってなる島々の地質は2億5千万年前から形作られたのもである。数億年の時を経た神秘的な鍾乳洞を見学することができる。それぞれの島は、Dau Nguoi(人頭)島とかHon Rong(ドラゴン)島、Hon Ong La Vong(釣り人)島、Canh Buom(蝶の羽)島・・・と想像力をはたらかせていろいろな名前がつけられている。写真クリックで大きく表示されます。
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第七回
ベトナムの交通事情
道路の主役は誰?
「バイクの洪水」
ベトナムでの主要な交通手段と言えば、バイクや自転車などの二輪車。
もちろん自動車もありますが、バイクに比べてまだまだ少ない有様です。
実際、道路を占める二輪と四輪の割合は、約8:2位。どこへ行ってもバイク・バイク・バイクの洪水なのであります。
朝、晩のラッシュアワーの時間になると、その数は半端ではありません。まるで、龍の移動と見紛うばかり。バイクが群れをなし、怒涛を組んで流れてきます。時には縦横無尽にバイクが車専用道路を通行することも・・・。
「八面六臂の大活躍」
確かにバイクはいつでもどこでも移動できる最適の交通手段です。
夏になれば、上半身裸で走行する人もいる一方、冬は、ニット帽、サングラス、マスクで完全防備し、走行する・・日々の買い出しから始まって、ロマンティクなデートまでフル活用なのです。ベトナム人は歩くのが嫌いなのでしょうか。たとえ10mでもバイクを使うこともしばしばです。
一方、日本人には想像を絶するくらいの荷物が積まれます。量もすごいが、荷物の種類にも眼を見張ります。大きな豚1匹から、野菜、果物、テレビ、冷蔵庫、果ては箪笥やテーブルセットにいたるまで。積載オーバーはなんのその。満載にもかかわらず、きちんと2人乗りまでやってのけてしまいます。すごいぞ、バイク。大活躍!
「バイクはステータス」
バイク愛好者は、稼ぎが多い都市に集まっています。
自転車に比べ、高価な乗り物なので、地方に行けば行くほど、バイクの台数は急減し、代わりに自転車が台頭してきます。高収入の人しかもてないバイク。それだけに彼らのステータスであり、地方の人たちからの憧れの的なのです。日常の足として活躍するバイクを彼らは本当に大切にしています。壊れたら、町中にお目見えする修理屋ですぐ直せるようになっています。近年はバイクの種類も増えて、色とりどりのバイクが町中を走り回っています。日本、韓国、中国、台湾のバイクメーカーが主流ですが、なかには、ロシア製、チェコ製などもあり、言わば、「バイクメーカーの坩堝」です。
「大きな社会問題に・・」
それだけ愛用され、増え続けているバイクなのですが、やはりそれに伴って交通事故が非常に多い。交通ルールがあっても守らないのが当たり前。対四輪だけでなく、バイク同士の事故がひっきりなしに起き、必ずや遭遇するはずです。道路が狭いのだから、譲り合わなければならないはずですが、そんなことをまったく考えていないのでしょうか。一時停止など無視。『俺が先に通過するぜ!』と相手を威圧しながら通行します。これは決してアイコンタクトとは言えません。考えるだけでもゾ〜としますが、傍観している方はもっとスリリング!!「交通マナーは守るべき」と考えている我々日本人観光客は、思わず『危ない』と叫んでしまう羽目に。
さてもう一つの大きな社会問題は、盗難です。車体はもちろん、部品が盗まれるのであります。修理工場が多いということはそれだけニーズがあるのでしょうか。盗られた部品は、もちろん即、売られてしまう。テールランプカバーからウインカーのないものまで、その盗難の範囲はあっけに取られるくらいに広いのです。
予防策としては、防備しかありません。大方のバイクや車はモールのようなカバーがされて、部品が盗まれないように自衛隊策をしています。しかも、このカバーがスグレモノなのです。後ろから衝突されてもライトが壊れないようにカバーするという、一石二鳥の商品です。
ふーっ!なにはともあれ、ベトナム道路の主役はバイクなのでした!写真クリックで大きく表示されます。
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第八回
ホーチミンの日本人学校事情
―ホーチミンの日本人学校は田舎の分校と同じ状況
ホーチミンには2,000人位の日本人が在住していますが、家族帯同の比率は、生活環境の問題もあり、他の国々より低いようです。その数少ないホーチミン在住の日本人の子供達は、日本人学校の他に、インターナショナルスクールとブリティシュスクールに在校しています。日本人幼稚園もない為、どの子もインターナショナルやブリティシュスクールの幼稚園に通うわけですが、そのまま小学部に進んでしまう事もあり、現在の日本人学校の生徒数は、小・中学校合わせて60名弱。まさに田舎の分校といった感じです。学年により生徒数がまちまちで、少ない学年では、5人しかいない場合もあるのです。日本政府が教師の派遣を行い、日本商工会が運営。学校行事においては、商工会の会員である我々駐在員が、運営者側の立場で参加する事もしばしばです。
―大人が喜ぶ運動会
毎年12月に行なわれる運動会は、実にユニーク。日本の学校の運動会に比べ、まず大人参加の種目が多いうえ、(通常日本では「保護者」と呼称するのですが、ホーチミン日本人学校の場合は、大人なら誰でも参加できるので、ここでは「大人」としておきます)最後に賞品が授与されるのです。なにしろ生徒数が少ないので、生徒だけの運動会だと短時間で終了してしまうし、子供達が疲労困憊してしまうのではという配慮からか、種目の半分くらいは大人も参加して盛り上げます。それでも全種目がお昼前に終了してしまうので、日本でお馴染みのお弁当風景が見られません。また、より多くの大人の参加を求めるためなのか、競技に全種目参加した人には、賞品が授与。その賞品がなんとも豪華なのです。これが結構決め手になっているのでしょうか。結構人が集まるのです。
閉会式直前に行なわれるゲームとラッキードローの賞品は、各企業からの協賛。家電メーカーの電気製品に始まってホテルの食事券の類まで多彩です。これも豪商工会=企業の運営によるため、それが功をなして、私を含め、結構大人達も賞品目当てに(?)運動会を楽しんでいます。
―最後に
生徒の人数が少ないのは、決して悪い事ばかりではないと思います。日本人学校に通う子供達は、「学年を超えた仲間」。年上の子供達が小さい子供達の面倒を見るため、彼ら自身が年長者としての自覚を身につけていきます。自ずと社会人としての役割を演じているんですね。
ベトナムを訪れる機会がありましたら、観光名所や現地の人達の生活だけでなく、ベトナムで生活している日本人達に目を向けてみるのもいかがでしょうか。写真クリックで大きく表示されます。
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第九回
ベトナム旅行者の心得
初めてのベトナム旅行に来られる方、何を準備するか戸惑いますよね。
着る物、お金、洗面用具etc、何を持って行っていいのやら。
ホーチミン市(HCM)はこれから雨季(5月頃〜10月頃)になります。
気温は23〜34℃位、日本の8月と同じ位。この時期の降水量は日本の2倍くらいで夕方は夕立が降ります。旅行の服装はTシャツ、ポロシャツ、下は短パンも可です。でも飛行機の中やホテルの部屋、移動の車の中はエアコンが効いているので、1枚上着を準備するといいかも知れません。洗濯は1日で乾きますが、汗かきの方は肌着はちょっと多めをお勧めします。クツは基本的に歩きやすいもので。街の歩道は狭くオートバイが駐輪、お店の一部がせり出し、足元は食べかすやゴミで汚い場所もあります。街の中心だけの散策ならサンダルでも大丈夫です。(飛行機の中では片道6時間位は座っているのでスリッパかサンダルがあると楽です。)。日中の晴れた日は日差しが大変強いので、女性は日焼け止めをお忘れなく。帽子も効果的です。お泊りのホテルにもよりますが、普通のホテルにはバスタオル・ハンドタオル、ドライヤー、シャンプー等は準備されています。もし必要な洗面用具をお忘れでもスーパー(コンビ二)のようなところもあるので買い足すことも可能です。
電気製品を持ってくる場合は気を付けて下さい。電圧は220V(日本は100V)、お持ちの製品が対応していないと壊れてしまいます。また、プラグ(コンセントの形)もホテルによって違います。アダプターの貸し出しをしているホテルもありますが、せっかく持ってきても使えない場合があります。
水道水は飲めませんが、ミネラルウォーター等がどこでも簡単に手に入ります。
カメラのフィルムは日本よりちょっと高めでどこでも売っています。インスタントカメラも最近では入手可能。現像も普通のフィルムはもちろんインスタントカメラやデジカメも1日でプリントしてくれるので、帰りの飛行機で見るのもいいかもしれません。現金は日本円でも米ドルでも結構です。こちらの銀行や両替所、ホテルでもベトナムドンに替えてくれます。お食事やお土産にどれ位お金を使うかは個人差がありますが、中心部にレストランや雑貨屋・土産屋、大きなホテルではクレジットカードの利用も可能です。
最後に、ベトナムへの旅行を問わず海外旅行では、交通事故、感染症や食中毒といった不測の事態が起きた場合、お金と手間・時間がかかります。事前の情報収集や海外旅行傷害保険の加入をお勧めします。写真クリックで大きく表示されます。
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第十回
現地駐在員への質問コーナー1
「ベトナム」をより良く理解するために、現地駐在員が様々な質問にお答えいたします。
今回の質問は
(1) 典型的なベトナム人の家とは?広さ?構造?
今日のベトナムの家屋建築を、ひとつの典型的な様式として一般化することはできない。なぜなら各地方のそれぞれの環境に適応したさまざまの建築様式があるからである。
先ず農村部から考察してみたい。図に表したような家屋は封建時代からのキン族(ベトナムで90%を占める主要民族)の伝統を保持している。この家屋の建築様式は三間屋、茅葺屋根(瓦の場合もある)、土壁・竹柱(今日ではセメント、レンガが用いられてきている)、中庭(今日では土ではなくセメントやタイルが敷かれている)によって構成されている。三間の中央の間は、先祖を祭る祭壇、箪笥、中央には和額があり、その両脇にはベッドもしくは螺鈿をほどこした対連を飾る。中央の間が接客を行う応接間であり、両脇の二間が寝室である。それぞれの寝室の広さは3m x 4mほどのもので、リビングルームは寝室の3倍ほどの広さがある。天井に梁がなく天井材(断熱材や樹脂材など)を張れない場合でも古風な紋様や漢字で福禄寿のような漢字の模様が入った板をかける。三間の母屋の横には厨房がある。厨房は寝室とほぼ同じほどの広さであるが、天井は竹や木材で高く建てられ、屋根裏の収納スペースをつくり、農作業でつかう道具(籠、天秤、紐など)や炊事用具(蒔きなど)をしまう。厨房はかまどが普通であるが、練炭やガス(家畜の糞のメタンガスを利用したもの)炉もある。厨房は、母屋の両脇のいずれかにL型に配置される。
以上に述べたような様式の家屋は少なくなってきており、屋根の平坦なもしくはトタン屋根の、厨房・トイレ・浴室が母屋と一体になった近代的な様式の家屋を建て、井戸も水道ができてからは残さないようになっている。
次に都市の住宅についてみる。今日ベトナム各省の都市部は経済的に発展しており、都市への人口集中が進み、都市部の人口密度が過密化している。政府は高層住宅の建設を推進して問題の解決をはかっているが、その進捗は遅く、多くの困難に直面している。都市部での住宅は、そうした理由で雑然としている。建設面積がわずかなところにウナギの寝床のような細長く、しかも高層の建物が建設されている。幅はわずか2〜3mなのに、奥行きは25~50mもあり、さらにできる限りの有効なスペースを確保するべく突出したり、引っ込んだりと様々である。
(2) 家は借りる、買う、どちらが多いのか?
政府の土地政策は、土地は全人民のものであるが、国が唯一の土地所有者であるという政策のもと、政府はいろいろな方法で土地を民に分け与える政策を実施している。ベトナム国民の殆どが土地の借地権を受けて家を建てる権利を有している。祖先、親が残した借地権による者もいれば、土地解放政策によって土地を分け与えられた者もいる。
近年の土地政策は、市場経済化のなかで、投機熱を避けることができなくなっている。特に大都市においては、親から譲られた土地、国から授けられた土地、機関によって払い下げられた土地、自分で購入した土地、分譲の集合住宅等々の多くの不動産を所有する者もいれば、借家住まいを余儀なくされている者もいる。
借家住まいをしている階層は様々であるが、主なものは農村やよその省・都市から出稼ぎや就学のために都市に移り住んできた若い世代である。学校を卒業する際にはその都市に残り、そして一族が徐々に都市に移動してくるのである。ある都市に機関、学校、病院、大企業が集中し、人口が過密になってくると、その都市の土地の資産価値が実際の価値よりもさらに上昇していく。都市の中心部の土地価格が日々天井知らずの上昇を続けているなかで、学校を卒業したばかりの若者には土地も家も買えるほどの金も無く、借家住まいをするしかないのである。
国は住宅問題の解決をするべく集合住宅建設に努力しているが、現時点ではそうした住宅に困っている階層の人に手の届く価格ではないのが実情である。いつまで借家住まいをしなければならないのだろうか・・・
しかしながら、ベトナム政府は、集合住宅建設、土地法律整備、土地投機を抑制政策実現の努力をしている。ベトナムの若者よ、借家住まいをもう少し辛抱して!写真クリックで大きく表示されます。
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第十一回
現地駐在員への質問コーナー2
グローバル化が進む中、各国の外国語教育事情というのは気になるところです。
さて今回の質問は?
ベトナムでは外国語で何が一番勉強されているのか?英語?日本語?
1980年代以降ベトナムにおける教育システムではロシア語が初等教育から普通教育に かけて7年と12年の2つの過程に従って教えられてきた。1990年以降現在まで グローバル化の進展の中でベトナム教育訓練省は考え方を変えて、学校教育において ロシア語を英語に切り替え、英語を必修科目にした。学校と学校のレベルによって英 語の必修取得レベルは異なる(普通教育に従った7年と12年の過程がある)が、生 徒のなかで英語専修コースも設けられ、優秀な生徒は全国英語コンテストに参加する 者もいる。
グローバル化進展の中でベトナム経済も徐々に変化している。外資合弁会社、外資独 資会社の数が増え、外国語レベルが高い労働者の需要が高まっている。英語が世界的 に普及している言語である故、各大学も英語講習コースを開設するだけでなく、学生 たち自身が学外の外国語センターや外国語大学の専修コースなどを受講してスキルア ップをはかっている。現在幼稚園から大学まですべての学校で英語の授業がある。特 に都市部では英語学校が激増し、英語の試験や検定書発行などが行われている。
英語に続いてフランス語も普及している言語としてみなされている。
1930〜1940年代まではベトナム全土がフランス植民地制度の支配下にあり、学校では フランス語が教えられていた。その当時から現在までフランス語が使えるベトナム人 は維持されているばかりでなく国際化の趨勢のなかで増加しているのである。特にベ トナムがフランス語圏国家連合に加盟してからベトナムにおいてはフランス語が流行 の外国語になっている。普通教育におけるフランス語も全国レベルのコンテストが行 われている科目である。
以上に述べた他の外国語については、時期により外国投資の増加によって、雇用の機 会に応じて、それぞれの外国の言語学習ブームが起こっている。
日本の投資がベトナムに押し寄せてきてから、日本語を学ぶベトナム人も急増した。 貿易大学の日本語クラスは1〜2クラス(1クラス25名)だが、最近では4~5クラス/年 開講している。しかも1クラス30人に増員している。
中国人がビジネスもしくは旅行で訪れるようになってから、外国語講習センターで は、中国語クラスが激増した。韓国のファッションや映画・ドラマ、製品がベトナム 市場に流入してから韓国語学習熱が高まった。こうした時流は、カラオケに行くとベ トナム語や英語だけでなく日本語、中国語、韓国語の歌もある現象にも反映されている。
在学中の学生にとっては、ある外国語が該当する国の留学制度や奨学金制度を目当て にすることもある。かつてはファシストの国家があった国の言語と忌み嫌われていた ドイツ語が、いつの間にか西欧留学のための手段として使われるようになっているの である。
上述したことは、外国語の学習の動機となっているいろいろな理由の一部であるが、 いずれにせよ積極的な面がある。外国語を学ぶことによって異なる国、民族について の理解を拡げることになり、国際化、グローバル化の趨勢に適応している。なぜなら 外国語は各民族の和合・親睦、相互の進歩を助長するものであるから。
なるほど!ベトナムでは大変積極的に外国語教育をとらえていることがわかりました。
日本もぼやぼやしてはいられませんね。写真クリックで大きく表示されます。
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第十二回
現地駐在員への質問コーナー3
今回はベトナムの「結婚」について聞いてみました。
さて今回の質問は?
お見合い結婚、恋愛結婚どちらが多い?
経済と社会の発展に従って、人間も進歩して、生活面でもクォリティーを求めるようになる。だからこそ「私」自身をはっきりと意識し始め、恋愛について、人生についてその他いろいろなことについて、特に結婚相手についての観念は以前とは異なってきている。今日のベトナムにおいては、仲人の紹介による結婚はほとんどなくなっているといえる。いまだにお見合いが行われているとしてもそれは僅かで、厳粛な考え方はすでに残っておらず、知人同士の軽い社交的なよるものである。自分の意思に従った自主的な生き方をしている人は、社会との多様な関係を気づいているので配偶者と知り合う機会があり、自分自身で注意深く結婚相手を選ぶことができるのである。ということで現在のベトナムではほどんどが恋愛結婚である。
結婚適齢期は?
ベトナムの結婚・家族法によって、男性は20歳、女性は18歳から結婚できる。すべての国民は成人となってから結婚にあたって平等で自由な権利を有している。
早婚(法律の規定を満たしていない年齢での結婚)は、少数民族居住区や辺鄙な地域にのみみられる。女性の平均結婚年齢は25歳、男性は27歳。政府と各自治体は、成熟した家族生活を宣伝教育して、早婚をなくし、強制婚、できちゃった婚にならないよう性教育も行っている。若すぎて十分な経済的条件のないうちに結婚して望ましくない離婚のような惨事にいたらないための配慮である。
結婚式での衣装は?
現在新郎新婦の服装は、流行に従っているのであるが、一般には結納で女性は赤いアオザイに赤い頭飾をかぶる。婚礼日の新郎による送迎時に新婦は洋風の白い(ピンク は稀)ウェディングドレス一式を着る。新郎は暗いカラーもしくは白いスーツを着てネクタイを締め、靴を履く。一方農村部では、十分な条件がない場合には、新婦は赤いアオザイと赤い頭飾を着用し、新婦は暗い色のズボンに白いワイシャツにネクタイをするだけの簡易な衣装で挙式している。写真クリックで大きく表示されます。
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第十三回
現地駐在員への質問コーナー4
「教育」はそれぞれの国が、自国の将来を見据えて真剣に考え、取り組んでいる問題 です。
さて今回の質問は?
ベトナムの教育制度は?
幼児教育
生後3ヶ月から6歳までの幼児の養育と教育のためのもの。
幼児教育施設
1. 託児所:生後3ヶ月から3歳までの幼児が対象
2. 幼稚園:3歳から6歳までの幼児が対象
3. 保育園:生後3ヶ月から6歳までの幼児が対象で、上記2施設が一緒になった もの。
普通教育
1.小学校教育は、6歳から14歳の児童の全てが対象の義務教育であり、1年生か ら5年生
までの5年間就学させる。1年生は6歳から入学する。就学期間中児童は、道 徳、知能、
体力、美術、技術の基本的な能力を中学教育まで継続するべく長期的に伸ばせる ための正し
い発展をできるよう育成される。
2.中学教育は、6年生から9年生までの4年間にわたって行われる。小学校卒業証 書を受け
た11歳の児童が入学できる。この期間に小学教育の成果をさらに発展させ、普 通教育レベル
に到達し、就職を目指した技術面での見識を獲得させ、さらに普通中学、専門中 学、職業教育
もしくは就業に向かわせる。
3.普通中学教育は、10年生から12年生までの3年間行われ、中学校卒業証書を 持つ15歳の
学童が入学できる。この教育の期間に、それまでの教育期間の成果に踏まえて、さらに大学、
短大、専門学校、職業学校もしくは就業のための普通教育と就業を目指した技能 取得ための
教育が行われる。
普通教育の施設
1. 小学校
2. 中学校
3. 高等学校
4. 総合技術センター
職業教育
1.中等専門学校は、中学卒業者には3~4年間、高校卒業者には1~2年行われる。
2.職業教育は、職業に必要な教育レベルと健康が備わった者に行われるもので、短期で
1年、長期で1〜3年行われる。
職業教育機関
a.専門中学校
b.職業学校、職業訓練センター、職業訓練クラス(職業訓練施設総称)
職業訓練施設は、独立したものもしくは生産・経営・サービス・教育施設に付随し たものとして
運営されている。
大学および大学院教育
大学および大学院教育は、
1.短大・大学教育
a.高校卒業もしくは中等専門学校卒業者を対象とした3年の短大教育
b.高校卒業もしくは中等専門学校卒業者を対象とした4~6年、もしくは高等専 門学校卒業者
を対象とした1~2年の大学教育からなる。
2.修士・博士レベルの大学院教育
a.大学卒業者を対象とした2年間の教育
b.大学卒業者を対象とした4年間もしくは修士取得者を対象とした2~3年間の教育
特別な場合には、教育訓練省の規定に従って博士課程の期間を延長すること が可能である。
その他政府は特別な専門分野における大学院教育について具体的な規 定を定めている。
大学・大学院教育施設
1. 短期大学
2. 大学、修士課程、博士課程設置について政府首相によって認可を受ける
3. 博士課程教育レベルの科学研究所
大学の具体的な運営機構については首相によって規定されている。写真クリックで大きく表示されます。
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第十四回
ハノイの名物料理
●マイ・アイン うどん店 Tel 81234567
チキンうどんの専門店。かつてはNam Ngu通りのうどん屋に次ぐ位置にあったが、清潔さと明朗会計の甲斐あって、ハノイ随一のうどん屋として君臨している。鶏がらととんこつを周到に煮込んだスープは意外にも透き通っており、さっぱりした味わいである。
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PHO MAI ANH
32 Le Van Huu
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●チャーカー
総業140年の老舗。雷魚をカレー粉など独特な調味料で味付け、葱、ビーフン、香草を混ぜて炭火の七輪で炒めて食べるハノイ名物は、この店でしか味わえない。
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CHA CA LA VONG
14 CHA CA
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●ブンチャー
やや大きめの揚げ春巻きとハンバーグと冷麦をつゆにつけて食べるハノイ名物。常に混雑しているときには、ほど近い67 DUONG THANHにある店舗に行くと良い。Hang Manh通りの他に、Mai Hac De通り、Nguyen Cong Tru通りにも何軒かある。暑い日の昼食に適している。
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Bun Cha Dac Kim
1 HANG MANH
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●ガータン(チキンの薬膳煮)
漢方薬のスープで柔らかく煮たチキンを揚げパンと一緒に食べる。食欲がでない日の食事にどうぞ。チャーハンもある。
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GA TAN
13 TONG DUY TAN
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●ソーイ(おこわ)
Haong Da市場正面にあるお店。チキン、豚角煮とゆで卵、ハム、ソーセージ、豚削りぶしと多種。1人前は4000ドン。お持ち帰り可能。おこわは、毎朝食べても何故か飽きません。朝と夕方のみ開店。
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XOI
41 DUONG THANH
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●ブンボーナンボ(南部風まぜ冷麦)
南部風とはいいながらも、これはハノイ料理といえる。冷麦の具は、野菜、豚肉、ピーナツ。
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BUN BO NAM BO
65, 67 HANG DIEU
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●ミーワンタン(ワンタン麺)
1979年の中越関係悪化による中国人一斉退去以降、中国人街で唯一残った麺家。ワンタン麺だけでなくチャーシュー麺、水餃子もある。Hue 通り, Mai Hac De通りにも麺家はあるが、このお店が最も古く、安くて美味しい。
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第十五回
ホーチミン市紹介
ベトナムといえば、北のハノイ、南のホーチミンが2大都市ですが、今回はベトナム最 大の観光地「ホーチミン市」をご紹介したいと思います。
面積: 2,090km2
人口: 7百万人以上いると推定されている(2001年)
行政区: 17区(1〜12区、TAN BINH区、PHU NHUAN区、BINH THANH区、GO VAP区、THU DUC区)
県: 5県(NHA BE県、CANGIO県、HOC MON県、CU CHI県、BINH CHANH県)
ホーチミン市の行政管轄区域は、北緯10.22.13〜11.22.17度、東経106.01.25〜107.01.10度にわたり、市中心部からハノイまで陸路で1,730KMの距離にある。海岸までは直線距離で50KM離れており、12KMの海岸線をもつ。市の土壌は、沖積土。河川、水路があるが、大河はない。最も大きな川はサイゴン川で、全長106KM。ホーチミン市は陸路、航路、空路、鉄道の全において南部交通の要所で、国道1号線と統一鉄道は、ハノイに通じ、国道13号線はカンボジアを通じてインドシナを貫通している。タンソンニャット国際空港は、ベトナム最大の空港で、市中心部からわずか7KMの位置にある。
季節は、二期にはっきりと区別される。5月から11月までは雨季で、年間降雨量は1,979mm。乾季は12月から翌年の4月まで続く。年間平均気温は27.55度で冬はない。
市人民委員会の正面にあるホーチミン像
ホーチミン市の歴史
数千年にわたるベトナム建国の歴史にとっては、ホーチミン市はまだ新しい土地である。1668年のベトナム王朝の公文書でサイゴンの地名が記載されてから今日まで僅か三百年しか経っていない。かつてこの地はカンボジア王国の領土で、プレイノコール(=森の都)と呼ばれ、狩猟に使われ、17世紀にはカンボジアの副王が居住していたという。1698年初頭にグェン・ヒュー・カイン指揮官が阮王朝の命を受けて、南部を訪れたことが、サイゴン市設立300年の起源とされている。サイゴンという地名は、漢字では西貢と記載するが、サイはマンゴー(ベトナム語でソアイ、カンボジア語でスバイ)または原野のスラエ、ゴンは綿(まくらの綿として使われている)にちなんでいるとも、カンボジア語のTi Krong (街の意)が→Thai Gon (堤岸)→Sai Gonと変化したとも推論できるが、現時点ではまだ定説はない。
1859年、フランスの植民勢力により、南部ベトナムは攻略を受け、ザーディン市は陥落した。1862年サイゴン条約で仏領コーチシナが設立し、50万人都市計画が実施され、ボーナード総帥によってザーディン市は3つの府に分割され、それぞれの府はさらに3つの県に分けられ、その下に区、郡、村が置かれた。当時のサイゴンは、ザーディンが中央官庁所在地であるのと同時に、タンビン府の府庁、ビンズオン県の県庁も置かれていた。チョロンはタンロン県の県庁所在地であり、サイゴンと同じタンビン府に属していた。1864年にはチョロンがサイゴンから分離した。こうした都市開発を通じて、ベトナムの南北、東西各地に西欧的町並みが形成されていったのである。都市では基幹となる大通りと、四差点、五差点、七差点がつくられ、レンガ、セメント、鉄筋の高層建造物、広場、埠頭、公園が次々に建設された。
サイゴンは地理的位置、地質、恵まれた気候により、たちまち世界各地の商人が集まる都市になった。サイゴン港が1862年に完成してから、近隣各国の商船が忙しく出入りするようになり、サイゴンは南シナ海の真珠と呼ばれるほどに発展した。
1874年3月15日にフランス共和国大統領令によりサイゴン市が設立された。サイゴンは大都市となり、貿易センター、技術、サービス、交通各面での大型プロジェクトが次々と導入された。20世紀初頭にはチョロンもサイゴンに併合され、サイゴンはインドシナ最大の都市になった。その後フランス植民軍への抗戦がはじまり、1975年4月30日には、ベトナム民族独立戦争の終結地となった。1976年7月2日のベトナム社会主義共和国第6期国会第1審議においてサイゴンは、ホーチミン市と改名された。
観光資源
今日ホーチミン市は国内最大の観光地で、ベトナムを訪問する外国観光客の70%を吸収している。インフラの整備が整っていること、交通の便利が良い点の他に、豊富な観光資源に恵まれていることによる。
ホーチミン市は、1911年に故ホーチミンが救国の旅路で出航した地であり、ニャーロン港のホーチミン博物館は重要な史跡とされている。フランス統治期に建てられた建造物、クチの地下道、戦争・革命博物館が主な見所であるが、ダムセン遊園地、ウォーターパークなどの娯楽地が最近賑わっている。300年の時を経たホーチミン市には古寺、教会も多い。サイゴン、ザーディンから今日のホーチミン市に至るこの都市の文化的特徴は、伝統的なベトナム文化と、北方の中国文化、そして西欧文化の融合と調和だと言える。ベトナム南部、メコンデルタの中心地としての機能を果たすホーチミン市は、かつてクォックグー(ベトナム語のアルファベット表記法)による新聞の発祥地でもあり、今日でも全国の文化、芸能、芸術の最先端をリードしている。写真クリックで大きく表示されます。
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第十六回
ホーチミン見所1
●統一会堂
1873年着工した別荘で、かつてはノロドム(カンボジアの王朝名)宮殿と呼ばれていた。1954年に故ゴ・ディン・ジェム大統領により大統領官邸とされ、1963年に改築し、独立宮殿と名づけられた。延べ床面積2000m2、五階建ての宮殿内には大小100室が備わっている。1975年4月30日解放軍による宮殿のゲート突破によりサイゴン政権は陥落した。解放後、市管理軍委員会の事務所となり、1975年12月国家統一協商会議が開催された。その後独立宮殿は、統一会堂と改名、一般公開された。
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28 Vo Van Tan
7:30-11:00 13:00-16:00 無休 入場料5万ドン
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●戦争証跡博物館
1975年9月に設立された当初は、アメリカ-傀儡戦争犯罪展示館と呼ばれていた。館内には、民衆を惨殺、拷問、流刑したり、枯葉剤を散布したり、北部ベトナムを爆撃した、アメリカ、傀儡政権の現物、写真を陳列している。飛行機、大砲、戦車、ギロチン、「虎の檻」と呼ばれたコンダオ島牢獄の複製2部屋も置かれている。その他、西南国境戦争(対カンボジア戦争)、北方国境防衛戦争(対中国戦争)、長沙・南沙(スプラトリー諸島)問題、敵対勢力の陰謀などについても展示している。博物館外では、土産屋、ベトナム民芸品展示コーナー、水上人形劇上演室などがある。当館の設立後20年にわたり内外多くの参観者が訪れているが、最も多いのはアメリカ人観光客である。
クチの地下道
市中心部より北西70キロ離れたクチ県フーミーフン村にあるクチの地下道は、ホーチミン市で最も有名な革命史跡である。地中深くに、多くの交差、連結をめぐらした地下道網には、台所、食堂、寝室、会議室、手術室、矢倉が設けられている。抗仏戦争当時は、約17kmだった地下道が、1960年以降には全長250kmまで発展していった。地下3階の構造で、最も深いところは地下10mもある。現在この革命史跡は、内外の見学客で賑わう行楽地となり、射撃場も隣接している。また敷地内には1995年12月19日に完成した戦没者慰霊堂がある。本堂内の石碑には、サイゴン、チョロン、ザーディンで戦死した41,447名の犠牲者の氏名が刻まれている。
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28 Vo Van Tan
7:30-11:45 13:30 - 16:45 無休 料金1万ドン
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●歴史博物館
建築士Delavalにより北京の頤和園(中国清代の夏離宮)をモデルに建てられ1929年1月1日に完成した。当初はBlanchard de la Brosse博物館と呼ばれ、主に美術品が展示されていた。1954年よりサイゴン国家博物館と改名されベトナム、チャム、クメール、中国、日本、各少数民族の美術品が展示されていた。1979年にホーチミン市歴史博物館、さらにその後ベトナム歴史博物館と改名された。現在一万七千点にのぼる貴重な古物を原始時代、雄王時代、李朝、陳朝、黎朝、西山朝、阮朝と時代順に陳列している。またベトナムの祭祀具、東南アジアの仏像、ベトナムおよびアジア各国の陶器、オクエオ文化、チャンパ文化について展示している。第五区界隈で発掘されたミイラの展示室もある。
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2 Nguyen Binh Khiem
8:00-11:30 13:30-16:30 無休 料金1万ドン
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●動植物園 (2B NGUYEN BINH KHIEM, DIST.1)
フランス人熱帯植物研究者であるJ.B.Louis Pierreによって1865年に造営された動植物園は、世界で8番目に古い動物園で、国内およびインド、タイ、ラオス、カンボジア各国から集められて貴重な植物(ココア、コーヒー、バニラ、Jardin Acclimaterと呼ばれる砂糖黍など)が植えられ、珍種の動物も飼育されている。現在20haの敷地内では、125種類の590頭の動物、260種の1800本にのぼる樹木、23種の国内蘭、33種のサボテン、34種の盆栽を見学できる。
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2 Nguyen Binh Khiem
8:00-11:30 13:30-16:30 無休 料金1万ドン
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●美術博物館 (97A PHO DUC CHINH, W. NGUYEN THAI BINH, D.1)
1991年より開館。建物はもともと華僑豪商の社屋だった。1階は内外の現代美術品、2階は内外の現代絵画と彫刻、3階は7世紀から20世紀にかけてのベトナム美術品、7世紀から17世紀にかけてのチャンパ、オクエオ美術品、17世紀から20世紀に至るベトナム骨董品を展示している。
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97 Pho Duc Chinh
8:00- 11:00 13:30-16:00 月曜休館 入場料無料
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●ホーチミン市革命博物館 (65 LY TU TRONG DIST.1)
1890年に建てられた当初は、南部ベトナム特産物展示場だったが、後に南ベトナム総督の私邸とされた。日本軍の占領期には蓑田総督の私邸として使われた。1963年11月1日ゴ・ディン・ジェム大統領とゴ・ディン・ニュー大統領顧問がこの嘉龍宮殿の地下道を通じてクーデターの追っ手から逃走した。グェン・バン・チュー大統領の時代には、最高裁判所として使われたが、1978年8月より革命博物館として利用され、サイゴンの歴史、抗仏・抗米戦争関連資料を展示している。
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65 Ly Tu Trong
8:00-11:30 13:30 _ 16:30 月曜休館 入場料1万ドン
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●ホーチミン市人民委員会庁舎
1871年よりフランス統治政権はこの場所に市役所建設を立案したが、1896年に建築士Gardesの設計を選定、1898年にLailhacar社に発注して、仕上げは美術家Bonnetに依頼して、1908年に完成した。1954年からは旧サイゴン政権の都庁となったが、1975年4月30日以降ホーチミン市人民議会と人民委員会の庁舎として使われている。
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第十七回
ホーチミン見所2 「南シナ海の真珠」
●サイゴン郵便局
1861年1月に着工した当初、簡素な設計で、1863年2月13日の完成時には、郵便と電信に2分されていた。1878年4月15日に郵便と電信が合併され、1890年建築士Vilolicの設計によって西欧と東洋の2つの様式を混合した建物が完成した。建物正面にかけられた時計は当時から使われているものである。
●聖母マリア教会
市の中心部パリコミューン広場に聳える2つの鐘楼は、大教会とも呼ばれる聖母マリア教会である。フランスで設計され、フランスの建築士Bourardによって1880年4月11日に建立された。聖堂の長さは133m、幅35m、高さは21m。1895年に完成した鐘楼の高さは、57mである。
●ホーチミン主席記念館 (1 NGUYEN TAT THANH, DIST.4)
サイゴン川とベンゲー川の交差点にあるこの建物は、1863年4月4日に起工された。ザーディン省文聖廟の瓦と欧州の資材を用いて,2階建て西欧式の建築をしたが、屋根は東洋式で、その美観によってこの建物は、ニャーロン(龍屋)と呼ばれている。建設費用は、フランスの海運会社Messageries Maritimes社によって賄われ、この建物は支配人の住居および乗船切符売り場として使われた。1911年6月5日グェン・タット・タイン青年、後のホーチミン主席は、ここから救国救民の道をすすむべく乗船したのである。1979年9月3日、ホーチミン市の決定によりこの建物をホーチミン主席記念館になった。館内ではホーチミン主席の生涯について様々な資料が展示されている。
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1 Ngyen Tat Thanh
8:00-11:30 14:00 _18:00 月・金休館 入場料1万ドン
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●ベンタン市場
フランスがサイゴンを攻略した1859年より前から、ベンゲー河畔とサイゴン城の間にレンガ造りで萱葺き屋根の市場が存在していたが、1870年に火災に遭い、1911年には取壊しを行い、1914年3月に再建された。1985年にも内部、外部全面にわたる改装工事が行われたが、時計台のある正面の建物は、依然として昔の姿を留めている。
●南部ベトナム婦人博物館
南部のベトナム女性は、戦時中に伝令や武器弾薬・ゲリラを匿うなどで解放勢力に貢献した。ここでは当時使われた用具、衣服の実物や家屋の模型を展示してある。中越紛争時に、脅迫を何度も受けながらも、中国のベトナム侵略を批判する内容の京劇のマドンナを演じて、暗殺された女優タイン・ガ−も紹介されている。
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65 Ly Tu Trong
8:00-11:30 13:30 _ 16:30 月曜休館 入場料1万ドン
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●レ・バン・ズェット廟
今から200年前のこと、グエン朝の宦官であったレ・バン・ズェットは、タイソン農民反乱を抑えてサイゴン制圧した功があったが、2代目皇帝明命の就任にあたって長子でない事を咎めたので、その後冷遇され、死後には墓を壊されてしまった。明命皇帝没後、レ・バン・ズェットは名誉回復され、彼を偲んだこの廟が建てられた。敷地内にはトット・ノット(砂糖椰子)の木が植えられている。
●覚林寺 (118 LAC LONG QUAN, DIST.TAN BINH)
ホーチミン市で最古の寺。1744年に建立、1804年、1909年に改築されている。庭園の草花、樹木の景観が美しく、静寂なたたずまいを見せている。また中国における仏教伝播で活躍した林祀一族を奉っている。
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第十八回
ホーチミン見所3
●サイゴン競馬場
1900年創設。1975年サイゴン解放後閉鎖され、1989年より再開している。レースは土日に行われている。
●チョロン (中華街)
もともとビエンホアとミートに入植していた華人たちが、1788年にサイゴン付近のベンゲー河畔に移動し、市場を開いて以来今日までこの地区は発展し続けている。この街には手工芸品から工業製品にわたるあらゆる品物が溢れており、ホーチミン市在住華人の生活ぶりを見学に訪れる観光客で賑わっている。
●チョロンの主な見所
チョロンで最大の市場。今から100年前に中国の潮州から無一文でサイゴンに渡って来たQuach Dam氏が、ごみ回収業から食糧卸しの大物に立身出世して、建てた市場である。ゲートを入った正面には、同氏を偲ぶ記念碑が残されている。現在はホーチミン市によって管理・運営されている。主に雑貨、食糧等の卸売りを行っている。
●アンドン市場
1991年に設立された、衣服靴サンダルを主に扱う五階建ての市場。食料品、貴金属、鞄、手工芸品なども販売している。シーザーホテルと越華銀行が隣接している。
●フランシスコザビエル教会
市民からはチャータム(タム神父)教会と呼ばれている。1900年12月3日フランシスコザビエルの記念祭の折に、モサード司教が華人への布教のための教会建設に着手し、1902年1月10日完成した。その後タム神父によって学校、保育園、宿舎が増設された。1934年タム神父が没し、教会に埋葬されたことにちなんで、タム神父の教会と呼ばれるようになった。鑑札や対句があり、華人の祠堂のような装飾が施されている。1963年11月2日のクーデターで、ゴー・ディン・ジェム大統領とゴ・ディン・ニュー大統領顧問が当時の大統領宮殿(現在のホーチミン市革命博物館)からこの教会に避難したが、捕らえられ装甲車でサイゴン市内への護送途中射殺された。
●天后廟 (710 NGUYEN TRAI, DIS.5 AM6:00-PM5:30)
19世紀初頭に広東人によって建立された。航海の守り神である天后聖母を奉っている。廟内では巨大な渦巻き線香が天井からたくさんぶら下げられている。1975年以降ボートピープルが故地を離れる前に南シナ海航海の無事をこの廟で祈った。そうした航海の生存者たちからの寄進がいまだに多い。
●椰子の実教団サイゴン寺
既に廃寺となっているが、1975年以前ミートの本尊を中心に広まった新興宗教である椰子の実教団がサイゴンでの活動拠点だった場所。教祖は日中椰子のみを飲み食いして平和を呼びかけていたが、その思考の極端なことが1975年以降政府に嫌われ、活動禁止とされた。その後教祖は椰子の実教を牛乳教と改め活動を再開しようと試みたが、老齢で他界した。教祖の死後このカルト集団は解散している。
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第十九回
ベトナム人の長年の夢 ハイヴァントンネル開通
●2005年6月5日、ベトナム中部(Da Nang 〜Hue間)にハイヴァントンネルが開通しました。ベトナム北部(Hanoi)から南部(HCM)を縦断する国道1号線上にある急勾配のハイヴァン峠(標高475m)は最大の難関となっており、トンネル開通はベトナム人の長年の夢でもありました。
●ハイヴァン峠には、ベトナム戦争時にアメリカ軍がベトナム軍を監視していた塔が現存しており、今では有名な観光地点になっています。しかし、峠越えは急坂のため、峠のあちこちの場所で、車がエンジンブローしてしまい、止まってしまいます。修理もその場所で行うため渋滞にもなります。またベトナムではただでさえ、古い車やトラックが多いことから、車に付属している冷却水だけではエンジンを冷ますことができず、坂のいたるところに水の入ったドラム缶が設置されていたようです。
●このハイヴァントンネルの工事は総期間、約5年間をかけて、日本のODA(政府開発援助)189億円の有償協力によって行われました。対向2車線でアプローチ道路、橋梁を含めると11.226km、トンネル全長は6.274kmと、東南アジア最長のトンネルとなりました。
●6月5日のハイヴァントンネル開通式典には、ベトナム社会主義共和国のファン・バン・カイ首相、服部則夫在ベトナム大使、Da Nang、Hueの市長他、JBIC、コンサルタントの日本工営と工事に当たった関係者が多数出席し、盛大に式典が行われました。
●Da Nang側から抜けるときは、Lien Chieu工業団地の中を通り抜け、トンネルに入ってHue市のLang Coビーチへ行くことができます。Lang Coビーチはベトナム人の間で人気があり、今後南部ベトナム人の観光客が同トンネルを通って増加すると予想され、Hue市を始め、中北部の各省からも大きな期待がよせられております。
●物流面においても、トンネル開通によって1時間かかった峠越えが、6~7分に短縮され、道路の安全性、効率性が非常によくなりました。さらにタイ〜ラオス〜ベトナムを結ぶ東西回廊の拠点としても重要視されており、インドシナ半島の物流に大きく寄与することになります。
●当社グループにとっても、同トンネルの開通によって、お客様の商品をより安全に、そしてより迅速に提供できることとなります。そして、ダナン支店もこのトンネル開通を機に、今後、東西回廊、ベトナム南北間の拠点として、更なる発展を遂げるように努力していきたいと思います。
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第二十回
ベトナムヘルメット事情
●ベトナムの風物詩のひとつがバイク通勤です。「一家に一台」といえば、日本では、もちろん車を指しますが、ベトナムではバイクといったところでしょうか?ベトナム人はノーヘル(ヘルメットなし)で道中をカッ飛んでいます。日本人の私にとって、「羨ましい」とも思う反面、「危険」と感じる事もあります。でも実際、ベトナムでは守っていない人が多いだけで、ヘルメットに関する法律は制定されています。
ホーチミン市では一般道路にヘルメット着用路線がありますが、2005年度計画でその路線を18から新たに30路線としました。また、2005年度末までには対象路線を120路線までに拡大する計画だそうです。
そして、2006年度には市内全線でのヘルメット着用を義務付ける計画もあるそうです。
一方ヘルメットに関して、新ビジネスが登場しました。ホーチミン市外の観光地ではバイク預かり業とともにヘルメット預かり業が大繁盛しています。取り扱いが簡単で紛失しても賠償額が少ないため、今後も人気を呼びそうです。しかし、ヘルメット嫌いのベトナム人全員がヘルメットを被り通勤という日がくるのでしょうか??極めて楽しみであります。
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第二十一回
ベトナム釣り事情
豊かなメコンデルタには、コイ、フナ、ナマズ、ライギョ、ウナギをはじめとして日本では想像のつかないような魚が泳いでいます。ベトナム人は釣りが大好きで、粗末な竹竿から糸を垂らし、日長一日釣りをしています。
今回はベトナムでの釣り事情をいくつか紹介いたしましょう。
●ホーチミン式ハッピー釣り
残念ながら、ホーチミン市周辺の自然の川・池はすっかり汚染され、魚がほとんどおりません。ゆえに、釣堀で釣りを楽しむほうが、ポピュラーです。入場料VND20,000(約150円)を払うと、一日釣りが楽しめます。日本と著しく異なる点は、日本人とは比べ物にならないくらい、のんびり釣りを楽しんでいる事です。まず、釣堀には水上コテージが組んであり、家族、友達など1グループ単位で水上コテージを借りきり、そこから釣りをします。コテージは10人位の収容スペースがあるのですが、釣糸を垂れているのは、せいぜい1人か2人。他のメンバーは鍋やバーベキューを催し、ビールを飲みどんちゃん騒ぎをします。周りの迷惑も考えず、ラジカセを持ち込みベトナムの歌謡曲を最大ボリュームで楽しみます。そして飲み食いに飽きると、今度はトランプを使ったミニ賭博が白昼の最中始まります。ミニ賭博に一喜一憂し、それにも飽きると次はハンモックを吊るしてのお昼寝です。お昼寝が終わると、もう夕方、皆、満足して帰途に着くわけです。さて、肝心の釣りの成果は?・・・釣れても釣れなくても問題なし。つまり、釣りという単なる名目のもと、皆がハッピーに寛ぐことが目的で、それがホーチミン式の釣りなのです。
●ハノイ式ギャング釣り
ところ変わって、ハノイでは釣りに対する姿勢も方法も違います。皆が本気であります。家族で来る連中はなかなかおらず、男1人に釣竿1本の真剣勝負であります。
日本では一般に釣りの邪道として禁止されている「ギャング針」という大きな錨型の釣針を使います。この釣針の上部に糠味噌などの餌を塗り込み、ドボーンと水中に投げ込む。そして水中で魚が餌につられて寄ってきたところで一気に竿を引き上げる。最後にギャング針に魚の体を引っ掛け釣り上げるという工程です。引っ掛けられた魚は、体に大きい釣針が突き刺ささったせいか、大した抵抗もせずに水面に上がってきます。
「釣りは、魚が餌を食べて釣り上げるもの。魚の口に掛かった針が外れないようにうまく釣り上げる」という日本人の常識が見事覆される釣り方で、50CMはあろうかというコイを次々に釣り上げるのですから、侮れません。「いちいち、魚が餌を食い付いてくれるまで待っていられない!」というハノイの人達のせっかちな気質が表れているようです。
●上野駐在員式王様釣り
さて、最後は、ホーチミン市に駐在中の、私こと上野の釣り方をご披露致します。
まず、ホーチミン市より車で約1時間、まだまだ汚染されていない自然溢れる野池へ向います。用意するものは釣具一式とチョコレートなどお菓子類。
現地に到着し、釣りの用意を始めるや否や、「体のでかい日本人が来た」と、ベトナム人が興味本位で集まってきます。ここがコツです。集まって来た子供達に「エサになるミミズが欲しいんだけど・・」とチョコレートをちらつかせながらお願いすると、競争するようにミミズを取りに行ってくれ、たちまちのうちにミミズの山が出来上がります。しかし私はミミズを触るのが苦手。「ミミズを釣針につけて欲しいんだけど・・」とまたお願いすると、子供たちは、我先にミミズをつけてくれます。
魚がかかると、今度はすかさず網で魚をすくってくれて、当然のように魚を針から外してくれます。この状況になりますと、私の動作は「魚がかかれば竿を上げ、再び竿を下げる」という、手首の上下運動のみとなるのです。釣りに関わる面倒くさい作業が一切ありません。ホント、ベトナム人の子供達って、優しいー!?極め付けは、釣針が池底に引っかかった時。私が何も言わないのに、今度はベトナム人の大人がいきなり池にドボーンと飛び込み、池に潜って引っかかっている釣針を取ってくれました。(さすがに、私もこれには恐縮し、二度とやらないように言いましたが・・)釣りが終わると、釣れた魚は集まって来た人達にプレゼント。ついでに、大量のお菓子もプレゼント。「また来てねー」と皆に笑顔で見送られながら帰路につきます。何だか、一日王様になったような気分です。
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第二十二回
ホーチミンでの移動
●<手段>
ベトナムで一番にぎやかなホーチミンでの移動はタクシーが便利。しかし、メーター式の普通のタクシー会社や白タクが入り混じっており、普通のタクシー会社でも遠回りや荒っぽい運転がありますので、大手のタクシー会社をお勧めします。比較的まともなタクシー会社は、VINA TAXI(黄色い車体なのですぐわかる)・MAI LINH TAXI(白い車体・ルーフに緑の天井灯)・VINASUN(白い車体・ルーフに濃い緑の天井灯)。車体に会社名・電話番号が入っているので分かると思います。
一方、天井灯に“METERモとのみ書かれているタクシーは、トラブル(メーターの上がる速度が異常に早い・遠回り等)が多いので使用しない方が安全です。ちなみに、このタイプは天井灯が緑で車体が白で、MAI LINH TAXIに似たものがありますので、注意が必要。よく見れば、車体に会社名が入っていないので見分けられるとは思いますが。
肝心な料金は、初乗りが15,000ドンで、市内の移動であれば大体15,000〜40,000ドンで足りると思われます。
また、その他移動手段としてバイクタクシー・シクロが有ります。歩いて観光している時等に、日本語で声をかけてきたりしますが、トラブルが多いので無視した方が無難です。
●<タクシーの乗り方>
まず、道端に立ち、乗りたいタクシーに向かって手を揚げて下さい。そのとき、白タク等が近づいてきたら、「NO !NO!」と言いながら手で追っ払う様な動作をすればどこかに行ってくれます。呼びたいタクシーが来たら、日本の様に自動ドアはありませんのでドアは自分で開けましょう。もちろん降りる時もドアを閉めるのをお忘れなく。乗ったら、行き先を告げメーターをきちんと作動させているか確認しましょう。壊れている場合は、降りる事をお勧めします。
精算の際は、必ずメーターを確認しましょう。ちなみに、ベトナムのメーターは100の位までは表示されていません。例えば15,000ドンの場合150と表示されています。また、運転手が釣り銭を持ち合わせていない事が多いので、タクシー用に千ドンから2万ドンまでの崩したお金を持ち合わせていると便利です。後、タクシーのフロントガラスやリアガラス等に丸いシールが貼ってあり、そこに3桁位の数字が表示されていますが、これは車体番号です。タクシー会社に問い合わせる場合に、この番号でどれに乗ったか調べられます。
●<歩行の注意点>
ホーチミン市内を徒歩で移動する場合も注意することが色々あります。
歩いていて、そのバイクの数に圧倒されるでしょう。中には交通ルールを守っていないものが多くいます。逆走・信号無視は日常よく見かける光景で、平気で歩道を走っているものもよくいますので、歩いている際も前後をよく注意して下さい。横断歩道も、信号が青だからといって油断出来ません、左右をよく確認して渡りましょう。
そして、道路を横断する場合ですが、その時は、堂々とゆっくり渡ることです。そんなにスピードは出ていませんし、バイクの方から上手く避けて走ってくれます。おどおどしたり躊躇したりすると、逆に運転に迷いを生じさせ事故に繋がります。
ベトナムの所得水準は低いため、補償も満足出来るものではありません。海外旅行保険に入るのは勿論ですが、十分注意して事故防止を心がけて下さい。
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